転倒の顛末~要介護3の透析高齢者が「終の棲家」にたどりつくまで~(3)

7月14日月曜日
 用事を済ませていつもより遅い15時台に病院に行く。叔母に入院していることを伝えたと言うと、さっき来た、踊りが忙しいのよ、とか何とか話し出して上機嫌だ。・・・昨日の今日で来たのか?・・・あの叔母ならあり得るが、空想かも知れぬ・・・。大相撲が始まっていると教えて、テレビをつけてヘッドフォンを耳に当てて帰る。
 家に着きしばらくしてから叔母から電話があった。息子(私)が寂しがり屋だから家に帰らないといけない、などと看護師の前でペラペラ話していたそうだ。もちろんそのような事実は無いが(私は孤独が大好き)、おそらくそのような設定が必要な心理状態なのだろう。呆け老人には勝手なことを言わせておくしかない。

7月15日火曜日
 正午過ぎ、担当医師より電話があり、食欲がないので胃カメラで検査する旨連絡があり、同意が必要とのことなので、「どうぞどんどんやってください」と伝える。胃カメラ検査について説明したいとのことだったが、時間がないのでお断りした。あんなもので死ぬなら検査しなくても死ぬので、気にせずやったら良いのである。
 食欲がないのは、病院食がまずいからで、要するにわがままの可能性が高い。年寄りには病気の自覚が無く節制をする気もないので、しょっぱいものばかり大量に食べ、水分を大量に摂ろうとする。ここまで節制しなかった者に無理強いできるはずもないので、私にはそもそも止める気は無い。頭の悪い病院は、家族を栄養指導で呼びつけたりするが、本人が気を付けないのに家族が気を付けても仕方がないではないか?したがって、私は丁重にお断りすることにしている。腎不全患者と同じようなものを食べていたら、普通に生活など出来まい。では、2食分別メニューで三度のご飯を用意しろと言うのであろうか?病院などにそのような指示をされるいわれはない。節制は自分でやるもので、家族が強制すれば虐待に近くなるのに、義務のように押し付けるなどまともな知能があればできないだろう。つまり、家族に「指導」するなど滑稽な自己満足に過ぎない。

7月16日水曜日
 何となく小さくなっている感じだが、こちらのことを息子と正しく認識したので、病院のご飯は薬だと思え、薬がまずいのは当たり前、と言ったことを繰り返し伝える。しかし、これで聞き分けてくれるくらいなら苦労は無いのだ、と思う。食べずに衰弱する可能性が現実化しているようだ。
 その間、向かいのスペースで、恰幅の良い中年男が、テレビをつけるともったいないと言う年老いた母親に、テレビは1日で500円ではなく月500円だ、と大きな声でほとんど叫んでいた。否、1日だったはずだ。1日500円前後でWi-Fiも使えるといったもので、私も高いと思ったが、1日5時間テレビを見るなら、1時間100円のテレビカード並みでWi-Fi使い放題付となれば、むしろお得だ。遺憾なことに、Wi-Fiが何かも知らない年寄りには無用の長物だが、患者が私だったらありがた山の寒ガラスだ。
 と言うより、急性期のつまり救急で運ばれて入院するような場合、長期入院はほとんどあり得ないので、月ぎめはまずないのがセオリーだろう。4人部屋の病室で大声をはりあげるおバカ君は、これから病院とのかかわりで苦労するだろうな、と思った。

7月17日木曜日
 検査で不在であった。この病院は「生協」として共済金を募っているので、一口乗ることにして、私と母で3000円ずつ支払う。みんなで支え合う共産主義的な善意を信じる建前の下で存在している、政治思想的にはほとんど共感できないが、医療の下支えになるなら、何でも有りである。

7月19日土曜日
 枕の横に頭をうずめて寝ているのか起きているのかわからない状態。目を覚ましてこちらを見て「帰りたい」と言うので、寝たきりでは帰れない。透析に行けないからすぐに死ぬ。帰りたかったら、自分で動けるように努力するように伝える。わかっていても努力はしないだろう、となると、このまま寝たきりで老衰死する他ないが、それまで病院に置いてもらえるとは思えない。とはいえ、寝たきりのまま透析出来て長期滞在が可能な施設などあるのだろうか。何とも鬱陶しい。
 介護を統括するケアマネは、要介護1の段階で、生活保護者になってグループホームに入所することを勧めてくれた。グループホームは数多いが、透析の送迎を引き受けてくれる施設は極少で、可能として紹介されたのは1カ所だった。しかし、生活保護となった場合、年金では足りないと見なした分を、市役所が縁類に協力させようとするだろうし、かえって鬱陶しいことになりそうなので、断った。
 やはり要介護3にして透析患者の送迎も可能な特別養護老人ホームに入所させるほかなさそうなので、認定の申請をし、訪問調査も受けた。ところが、行政側の都合により認定に時間がかかり(認定会議が出来ないので45日延ばすよー、と言った内容の通知はあった)、要介護3となったのが6月だ。そこで、ケアマネから紹介されたのが特養に入所希望を出そうとしている時に入院となった。
 希望をしても入所のための空き待ちがいつまで続くかわからない。年単位で待たされる可能性があるのだが、老化などはせいぜい月単位で退化するので、その間、待たされる家族は塗炭の苦しみとなる。施設は施設で、ほとんど身動きも出来ない年寄りを個室で寝かせて、流動食で余命をつないでいる。個室である必要はゼロだが、ユニット式でまだ元気に動ける一部の年寄りのニーズしか満たせないことになる。実体と必要性から乖離したダメな制度である。

7月21日月曜日
 様子を見に行く予定だったが、18時来店予定のお客様が15時頃に当日一方的に変更したので断念する。16時頃、従妹の「のり」から携帯に電話あり、叔母(のりの母)と見舞いに来たところ、フニャフニャとまともの話せない様子に驚いたらしい。驚いて看護師に尋ねたようだが、それに対して、歩けないのでどこの施設に移すか相談しないといけない、といった、立ち入った話を看護師が話してしまい、心配を増幅させたようだ。
 「来週の火曜日」に病状説明をしたい旨を聞いたと「のり」は言うので、場当たりでしかない救急病院が来週の話などしないだろう、今日が祝日の月曜なのを日曜日と勘違いしたダブルシフトの気の毒な看護師さんが、寝とぼけたことを言ったのではないか、と思ったが、黙って聞いておく。

7月22日火曜日
 案外に元気で手を振って出迎えられた。病院のご飯は薬だと思って、うまかろうがまずかろうが食べるように、繰り返し伝えたが、歩行機能が改善して家に帰るなど、よほどリハビリ担当者が優れていないと無理で、病院では期待できないだろうと思った。
 入れ歯がはまらず使えない旨、看護師のメモ書きがあったが、入院時ははめていたものだ。取り出して水洗いし口にはめてみると、確かに上ははまっていない。前からこうなのかと尋ねると、そうだと言う。本当にそうなのかよくわからないが、歯医者でなければどうしようもないので、とりあえず放置することにする。何しろ病院食だ。しかも腎臓病の患者対応となれば、形態など何であれまずいのだから、噛んで食べなくても良いかもしれない。
 帰宅後に看護師より電話あり。明日15時、病状説明をしたいのでご都合いかが、との話であった。奇跡的にカレンダーに予定がなかったので、お伺いする旨伝える。
 その後、確認したところ、近日の予約を書き損ねているのに気づき、お客様にお時間のご変更をメールでお伺いし、前倒してもらえることになった。油断ならない。

7月23日水曜日
 内科の医師より病状の説明を受ける。胃カメラの結果、食道のところどころに炎症があるものの大事なし、服薬中で食事も少しずつ食べるようになったとのことだった。気がかりなのは甲状腺とのことなので、以前伝えたつもりだったが、10年近く前に誤嚥症状で独協大学付属病院を受診して、甲状腺の異常ありとされたものの、良性と診断され服薬治療を行った旨を伝える。この時は、カレーそばを食べた際にせき込み、その後、食べ物がのどを通らないので刻んだりレトルトのペーストを食べさせたりして、耳鼻咽喉科を受診させて(自分でバスに乗れていた)、結果紹介状をもらって獨協大付属に通院したので(叔母に付き添ってもらっていたようだ)、私は細かなことを知らなかったが、本人が書いた通院歴で確認できた。
 運動機能の回復は見通せないので、療養型の病院に移ることになるだろうとの話で、SA病院の名が挙がった。私の認識では、急性期医療はだいたい1か月で追い出され、療養型は3か月で追い出される、である。治れば家に帰れば良いだけで、治らないのに転院させるなど、非効率なだけだが、治っても病院に居座りたがる人を排除するという名目で、治らない人を病院から追い出そうとする、誠に愚かな医療行政は、10数年前から変わっていない。
 とりあえず、病室に行って、SA病院などに転院する可能性などを本人に伝え、待合に戻ると、ソーシャルワーカーらしき人と立ち話になった。SA病院は家族が面談を受ける必要があって、その日時を指定してくると言うので、父の時の面談の嫌な思い出がよみがえり、かつ、お盆時期で時間的な融通が難しいので、なぜ、通常勤務時間とされる昼間に家族を呼びつけられると思っているのか、一人暮らしの年寄なら必要とされないことを、家族に強制するのはそもそもおかしい旨、申し上げ、面談を必要としない病院も含めて検討することとなった。
 脳幹出血のため寝たきりで意識混濁で声も出ない父親の時は、医療センターの急き立てるだけで無能なソーシャルワーカーが上げた病院から、近い順に連絡し、最初に「面談」したのはAo病院。相手は看護師長のおばさん一名で、驚くほどひと気のない病棟(人の姿がない)で、植物状態の人間だったそれたちが、実に静かに横たわっている病室を案内され、月々いくらか説明を受けた。そのような事務的な話はA4のぺら紙でも送ってよこせば済むのに、一体、何を考えて「面談」を強要するのだろうと思ったものだ。
 次に行ったのはAn病院、地域では「ヤブ」で有名らしい病院なのだが、その時点では知らない。「面談」の相手は院長だ。一見、人の良い好人物らしきおじさんだが、ナースステーションで看護師たちとキャッキャと騒いでいる姿を見れば、およそ尊敬を受けるようなタイプではない。つまり、私が苦手とする、なれ合うタイプらしきその人は、事細かに急性期医療の入院日数とかその後の病床では何カ月、その後は病棟を移して何とか、胃ろうにすれば他の施設に入りやすくなる、といった長話をする。結局、年金の支給額との兼ね合いで選択肢がないので、そこに入院し、勧められた胃ろう手術の当日に亡くなった。
 ついでに、母が透析を受ける際も面談を強要された。応対した看護師長と院長だったが、何の意味もない顔合わせで、なぜ内容がないのに他人の時間を奪えるのか、それをしたがる人は、私には気持ちの悪い生き物にしか見えなくなった。まさか、患者を引き受けてやると「マウント」したいのであろうか?しかし、あなた方は病人を診るのは職務上の義務で、家族に強要する権利は無いのである。なぜ、一緒に病人を支える家族の手間を軽減する努力が出来ないのか、まったく気持ちが悪い人たちだ。

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