転倒の顛末~要介護3の透析高齢者が「終の棲家」にたどりつくまで~(2)

 SK病院は自転車で10分とかからない。近道を行くと5分ほどで着いてしまうので、片手間に頻繁に様子を見に行くことにしたが、検査でいなかったり、居ても寝ていたりで、どうにも様子がわからないでいた。

7月8日火曜日
 医師から容態の説明を受ける。事前に母の様子を見たところ、半ば眠っており、目を開けると手を伸ばして「痛い」「助けて山田ちゃん!」と言う。!?山田ちゃんとは誰なのか?看護師さんだろうか?よくわからないが興奮するといけないのでベッドから離れた。
 医師の説明では、脳に異常はないとのことであった。では、なぜ急激に認知機能が低下しているのか、そこがわからない。

7月9日水曜日
 前日医師より扁桃腺に異常があるとの話だったので、本人が書き留めて、なぜか最近居間に持ち込んでいた病歴を記すなどしたノート2冊を確認した(余計なことが書いてあるが面倒なのでそのまま掲載してしまう)。扁桃腺は以前、独協大付属でも問題視されたものの良性で、投薬治療となっていた。
 その際、「覚書」とされるノートに、「私想い 2024年1/28」として次の書き込みがあった(以下、原文のまま)。

 「私は今 年がいもなく、彼(山田さん)に恋をしています 恋愛ではなく神さまみたいにあがめています ピンチには必ず「助けヤマダちゃん」と心の声がさけぶと必ず助けのヒントを出してくれるのです 勝手にあがめているのです 多分迷惑の利用者の1人の利用者なのです でもピンチの時、あなたの顔をみると落ち付くのです それで私が勝手心の声が1人勝手に恋しているのです どうかこんな可愛い『み』(原文は〇にみ)ばあちゃんを見守って下さい 1人ガテンのアカネちゃんです」

 これが「覚書」にある最後の文章で、以後は白紙だ。
アカネはウチの名字、ファミリーネームで、「み」はファーストネームの頭文字だ。そのアカネちゃんの「み」おばあちゃんの恋心、と第三者は見なすだろうし、本人もそのつもりかもしれないが、同居家族としては複雑な気分だ。
 表面的感想は、何かを拝むなら神様仏様にすべきで、年をとってから臨済宗の檀家に入れてもらった経緯もあるので、本尊はお釈迦様、となれば、「南無釈迦牟尼仏」・・・、助けて欲しければ「ナムナムシャカシャカ」が妥当だろう。もし「山田ちゃん」を敬愛するなら、その人に迷惑をかけないため、また、その人に褒めてもらうため、リハビリでも頑張ってみたら良かったのではなかろうか。偶像(アイドル)とはそのような「彼(彼女)が頑張っているから私も頑張る」などといった自分のモチベーションを高めるための設定だと思う。
 例えば中世ヨーロッパの騎士は、あこがれの女性を「マドンナ」として、恋愛感情を越えて奉仕したものだ。頑張ってくれれば、実在するのかわからない「山田ちゃん」も、頑張らないおばあちゃんに悩まされ続ける私も、喜ぶに違いないのに。

7月10日木曜日
 14時半過ぎ面会に行くと、食事をスプーンで食べさせられていた。顔のむくみが取れて両目が開いており、こちらを見て第一声で「山田ちゃん」と満足げに言う。介助している人が「息子さんが来てますよ」と言っても、「こんなとこに来ちゃったのよ」と山田ちゃんに話しかけている。では、話がしたいのかと言えばそうでもなく、食べたり、まずそうに顔をしかめたり、水を求めたり、むせたり、自分勝手に忙しい。
 その様子をしばし観察しながら、「山田ちゃん」の空想スペースに逃げたのだろうか、と推量していた。認知症による妄想はよく知られているところだが、母の場合は自分が作った空想世界に閉じこもる形なのかもしれぬ。となると、認知と言うより精神的引きこもり状態、引きずり出すのは無理・・・。ただ、転倒の際のたんこぶが右のおでこにあるので、これが引っ込むと改善されるかもしれない。何しろ、前頭葉の働きに何か問題を起こしている可能性も否定できないのである。
 さてどうしたものか。「山田ちゃん」とお花畑で遊んでいてくれて良いのだが、現実世界では車イスに乗れなければ透析が出来ず、1週間にして死ぬしかなくなる。どうしたものやら。どうしたものか。

7月11日金曜日
 一転してよくしゃべる。「山田ちゃん」ではないことは視認できたようで、協同病院に入院している現状を説明すると、横浜から来て歩いて回ったと好き勝手に話し出し、「山田ちゃん」はデイサービスの人かと尋ねれば、そのすばらしさを熱弁してくれる。病室の窓から見える川口北高校は、地域で最も優秀とされているらしいと言えば、自宅の近所の青陵高校の招待状(近隣の家に配ってくれる)で行った文化祭が楽しかったと思い出話を始める。
かなりズレてはいるが、聞いたことに関連したことをとめどなくおしゃべりする・・・、つまり、判断能力が戻ってきている。ただ、まともではない。私のことは何か施設のえらい人だと認識したらしく、首にぶら下げた入館証が立派だと、理解不能に称えてくれるだけなのである。
 精神的引きこもり状態などと言うセンシティブな話ではない様子に安心し、テキトーに相づちをうって話したいだけ話すにまかせたかったが、水分の摂取制限があるはずでのどを乾かせるのは酷にもなり、私の方の後の用事と空の雲行きもあって早く帰りたい。「山田ちゃん」に会うには車イスには乗れないといけないから、身を起こしたりできれば立ち上がるくらいは出来るように頑張るようにと繰り返し伝えて席を立った。
 思えば、以前の入院でも、このように脈絡のないおしゃべりから、徐々に(それなりには)正常な受け答えが出来るようになったので、(老母にとっての)回復のプロセスなのかもしれない。これはこれで愛嬌があって良いので、このまま息子と認識せずに(認識すると話さなくなる可能性大)、おしゃべりなまま、少々リハビリを頑張って、「山田ちゃん」に会えるようになれば上々だ。「山田ちゃん」を口実にリハビリ頑張れと言うだけにしよう。問題は、どこで機能訓練させるかなのだが・・・(週に3回人工透析が必要なので対応してくれる施設がとても少ない)。

7月13日日曜日
 あまり話さなくなったが、誰だか分かるか尋ねると、私の子どもと答える。・・・「山田ちゃん」認定がはずれた!多少現実に戻ったらしい。息子とわかった途端にあまり話さなくなるので、さっさと帰って、叔母(母の妹)に転倒して入院している旨を報告する。いつまで入院するのかわからず、とりあえず人の顔の区別がつくようになったので、面会するとして、会話が可能だろうと思ったのだ。

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