高橋ロスの知らない世代

 もちろん、獣医さんたちは獣医学の学士でもあるのだが、大学院で修士や博士の学位を取得する必要はない。大学を卒業し、獣医師免許を取得すれば、どこかの動物病院で修行して貯蓄して自分の病院を開設するのに忙しくなり、病院を開設することが出来た後は、そこでの診療や経営に時間が割かれて、研究などしてはいられないだろう。
 高橋達志郎は1日50~100件の臨床を日課にしていたと言う。これは、とんでもない数字だ。1件10分診療でも1時間でこなせる案件は6件、12時間休まず診療できたとしても72件で、100件に届かない。!!、並んで診てもらっている飼い主たちと同じ立場の私に言わせれば、「10分未満で済むような患者を連れて行くんじゃね~!」なのだが、来る者拒まず、「努力できることが幸せ」などと言いながら、文句ひとつ言わずに飼い主の期待に応えようとしてくれていたわけだ。時間があろうはずもない。
 その弟子である広瀬先生は、月曜から日曜まで休みなしで7~10時、月水金の14~17時の診療を自院で行いながら、いまだに田園調布の師匠の病院で火木曜日9時~11時30分、代診をされているそうだ。7時!早朝から休みなし。朝のラジオ体操でもあるまいに・・・。このような苦行は私は御免だ。
 すなわち、師匠の病院の看板を外したくないための努力だが、それは結局のところ、高橋達志郎に頼り、広瀬先生に頼ってくる飼い主たちの期待に応えるための努力に他ならない。私から見れば、自分の犬の耳掃除くらいならまだしも、爪を切ってもらうは体を拭いてもらうは、そのような飼育マターを獣医師任せにするような下町のガラクタは飼わない方が良いのだが(次は文鳥を飼いなさい。私が近所にいればフツーに言ったはずだが、病院の中ではさすがに言えなかった。年寄りに次があるとも思えないし・・・)、そのような困った人たちを救うための努力・・・。
 そこまで極端でなくても、臨床医はみなそうだろう。技量も下手なら知識もなく自覚もなければ反省もないようでも、自分で現場に立って患者や飼い主に向き合ってその期待に応えようと努力しているはずだ。自分を頼って来てくれる人のために尽くすからこその臨床医かと思う。

 しかし、横浜小鳥の病院の海老沢さんは別の方向性を模索しているようだ。近年、獣医学博士号を取得されている。学位論文の考査をネット上で見かけて最近知ったのだが、なぜ寝る間も惜しむほど多忙な臨床医に、大学院に通って所定単位を取得し、論文を書いて学位を取得するなどと言う、それだけでも凡才にはお腹いっぱいな行為をされたのだろう。第一、『海老沢』の名を看板として頼ってきた飼い主に対して、留守番ばかりでは期待に沿っているとは言えないではないか?
 小鳥の行動について知識を漁って他人に語っているうちに、動物行動学にでも目覚めて、そちら方面の研究室で知識を深めて生物科学分野の博士になったとすれば、鳥の行動についてユーチューブや民放テレビで話すのにふさわしくなるのだろう。しかし、研究内容はインコの羽が云々で、ようするに母校に戻って今までもしていた獣医学の分野で学位を取得しただけのようだ。もちろん、それだけでも大変なことだが、患者飼い主には特に意味はない。
 では、『海老沢』の看板に期待してやって来た飼い主を落胆させ、多少はそういった事の意味合いを推測できる人の疑惑(臨床を軽視して学歴の名を求めた)を買ってまで博士(獣医学)の学位が、なぜ必要なのか?もちろん、臨床医はその技術でペット動物を助け飼い主という人を救う現場の人だと信じる私は、「無用!邪魔なだけ」と言い切ってしまうが、それはあくまで臨床医としては、だ。海老沢さんが飼鳥についての座学博士でその魅力を広めるタレント同然、と見なすなら、何も知らない一般ピープルに「博士だ!」とした方が箔がつくし受けが良いだろう。
 昔、ドクターコパと称する人が風水学などとして運気がどうの何とかの方向には何色の物を置くとか、私には理解不能な昔からの言い伝えを並べ立てる商売をしていたが、ドクターと言うからにはその風水学で学位を取得したような錯覚を、私を含む一般ピープルに与えていたかと思う。しかし、実際は建築学か何かの学位で風水とはフツーに考えれば無関係であった。されど、何であれ学位があれば説得力が増す。つまり、「ドクターエビサワ」の飼鳥啓蒙活動にも有意義と言えよう。それはそれで、悪いことではない。

 それにしても、小鳥の病院の高橋達志郎と、横浜小鳥の病院の海老沢さんは、およそ違った方向性を持っている。面白いくらいに違う。海老沢さんは、なぜ先行する高橋から影響を受けずに独自の進化を続けられるのだろうか?
 小鳥の病院の始まりが1962年、高橋達志郎が亡くなったのが1994年10月8日だ。この点、テレビで紹介されたことをしっかりブログにまとめられている方がいる(こちら)。その翌年に海老沢さんは獣医師となっている。横浜小鳥の病院のなかなか面白い文章の院長の経歴によれば、「卒業した後は、犬猫病院で働きながら、休みを利用して鳥の専門病院に見学をして勉強しました。当時、鳥の病院で雇ってくれるところなど無かったのです」とあるので、おそらく相模原市の飼鳥野鳥病院を無給で手伝っていたものと思われる(どこかで見た気がするのだが見あたらないので、傍証を上げれば「鳥類臨床研究会は、現会長の海老沢から「そろそろ症例検討会を開いてはどうか」と後押しされたことを契機に、数名の同門専門医を集め発足した研修談話会である」と飼鳥野鳥病院の長堀正行さんが書かれている。飼鳥野鳥病院も確かに「鳥の専門病院」だが、今の人たちのイメージとは違うかもしれない)。数年早く生まれていれば、海老沢さんとはあまり人間としての感性が合わない気もする高橋イズムを学べたかもしれず残念無念だ(水と油でも反面教師にはなる)。

※野鳥はお金を払わないので、本来、病院の診療対象にはならない。鳥類愛が先行して昔の獣医さんには傷ついた野鳥を保護して治療したがる人がおり、その治験を飼鳥の治療に役立てているが、私はその姿勢には懐疑的で、野鳥愛好者にさえ支持されないだろうと思っている。なぜなら、その傷ついた小鳥はかわいそうで救ってやりたい存在だが、それは一方で捕食動物にとっては餌である。その糧を奪われた捕食動物は他をエサにしなければならず、本来死ななくても良かった個体が代わりに死んでしまうことにも結果する。従って、ナチュラリストは、あくまでも自然に対してノータッチが基本になり、野鳥観察を好む人の多くもそういった態度にならざるを得ない(希少動物の保護は別問題)。
 個人的には、個人の趣味で傷ついた野生動物を救うのは悪趣味とは言えない、と思う。しかし、飼鳥の臨床医としては評価できない。その態度は、鳥を愛するという一点にあって、個の命を救うのは飼い主という人間を救うことに他ならないことへの認識の欠如を疑わせるからである

 高橋は晩年、その集大成と言える『小鳥の飼い方と病気』(永岡書店)を1990年に刊行している。この現代の鳥治療を志す者も古典として心得ておくべき本は、1994年、つまり亡くなる年にも刊行されている(2冊持っていて刊行年が違うので不思議に思っていた)。病身の高橋の思い入れもひとしおで、再刊したのでは?と思うのだが、文鳥飼育が中断していて歴史研究の学生生活中の私はまったく知らず(まだ犬メイン)、おそらく獣医師になるべく猛勉強中の海老沢さんも影響を受けなくても不思議はなかった。
 つまり、海老沢世代は、高橋が『小鳥のお医者』を世に問い、それに中学生の広瀬先生が感銘を受けた頃には、まだ生まれ出ておらず、高橋が活躍していた飼鳥雑誌『バードライフ』(1960~1981年)も無い世の中で育ち、ペットブームが去って久しい1990年代にあっては、実用書の新刊も話題にならず、気づかないままに過ぎてしまったわけだ。・・・残念な世代だったようだが、影響を受けずに済んだとも言えようか。直弟子以外の年長者たちは・・・、「ダメだなお前らは!同時代に生きていて何も学ばなかったのか?学んでも伝えないのでは意味がない」と、獣医ではないのでよく知らないのを良いことに、私がこの際言ってやる。
 そのためか、おそらく高橋の業績を欠片も理解しないまま、また、その弟子が横浜で開業しているのを知ってか知らずか、「海老沢」さんは、1997年、横浜の反町で開業される。そこに、これまた、高橋の偉大さや著作の存在も知らず、その弟子が当時の私の感覚では徒歩圏内で開業しているなどとは夢にも思わない私が、2000年、ヘビに噛まれたガっちゃんを連れて、タウンページ上に小鳥の専門をうたう半端な駅の反町近辺にあったその動物病院に行き、「ヒゲの人」つまり、リトルバードの小嶋さんにイソジンのうがい薬の推奨を受けるなどしている。その次に獣医さんを頼るのが3年後、疲労骨折した三代目のクルを連れて2003年3月、初めて広瀬先生のご厄介になった(「文鳥の系譜」)。そこでようやく高橋の存在に気づき、その著作を読んで舌を巻くことになるわけだ。

 ようするに、高橋達志郎のバトンを、海老沢さんも私も、おそらく同世代飼い主の大多数は直接に引き継げなかった。知っていれば、違ったかもしれないが、知らないのだから仕方がない。しかし、せっかくの知見を失うのはもったいない。古くなり今さらであっても、知るべきだろう。古きを温め新しきを知る。知らないでは温めようもない。せっかくの労作、復刊されずとも、古本は千円で買える。ポチっとすれば数日以内に手元に届く。
 ペラペラと拾い読みして昔の息吹を感じるだけでも、批判的に受け止め反感を覚えても、故人はバトンを継承してくれたと喜んでくれるだろうと思う。

【蛇足】
 飼育サイドで見た場合、高橋達志郎の飼育方法は原始時代の集大成と言える。良くも悪くも古い、古いがそれでも問題がないことが多い中で、私は差し餌のエサに片栗粉を少々入れるのは危険なので、真似しないように言っている。これは、粘性を高めるためのだろうが、「少々」の加減が難しく、多く入れ過ぎて固くなればいろいろ問題になるかと思う。これは、「巣引き屋」の経歴を持つ高橋の前提が、複数羽の差し餌のためエサもたくさん作る必要があり、「少々」が必要以上になる可能性が低いのに対し、現代の1羽飼育ではエサも少ないので「少々」が比率として大量になるとの配慮である。前提の時代的な相違と言えよう。
 親鳥のそのう液はそもそも粘性が低い、さらに飲水がそのままそのうに入るので、ヒナが食べるエサは本来は粘り気は少ないと思われる。ただ、粘性を高めず、現在一般に用いられる給餌器『育て親』で差し餌をした場合、液だれが起きやすくなる。上から与えようとすると給餌器が垂直になって下のヒナに垂れてしまう。過ぎれば羽毛を濡らしたり汚したりで保温性を奪ってしまい、また、目にかかった場合は損傷の危険も有り得る。そこで、私は手のひらに乗せての差し餌を推奨している。↓はイメージ図だが、給餌器の傾きが浅くなるので液だれしにくくなる。さらに気をつかって横合いから与えれば液だれの危険はほとんどなくなる。私はそのような形で、高橋からも学んでいる

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