バードックと言えばバード先生

 鳥の医者はバードドック、略してバードック、常識はずれでトンチンカンならパードック、飼ってもいないものの飼育本など書くのはみんなパー、などという意味合いを書いている時に、3人の人物が念頭にあった。ひとりは小鳥医療の「神」高橋達志郎先生、つづいて現在の小鳥医療を牽引する海老沢和荘氏、そして、1990年代半ばに活躍し、どこかに消えていった長屋亘氏だ。

 高橋達志郎は1994年10月8日に亡くなっている(伝聞情報)。飼鳥家で下半身不随の身となって文鳥などの繁殖生産をするブリーダー(巣引き屋)になり、自分の小鳥たちの死因とその治療方法の研究にはげみ、その研鑽の末に得た小鳥の治療技術を、小鳥を病気の苦しみから救うため、そして自分と同じ愛鳥家の助けになるために、1962年小鳥の専門病院を開業された、「獣医師と飼主の眼を持って」全身全霊を小鳥のために捧げつくした人生であった。まさに、小鳥のお医者、バードドックだ。
 その「神様」が亡くなった翌年、1995年11月に『セキセイインコ 「鳥の病院」の先生が教える飼い方』が刊行され、雑誌『婦人公論』の同年同月号から、『バード先生はすごいらしい』の連載が始まっている(~97年11月号)。※↓引用のマンガは同書

 長屋氏は当時、吉祥寺(東京都武蔵野市)のその名も『鳥の病院』という動物病院で臨床に従事されていた。・・・私はと言えば、何も知らずに、そのほど近く、井の頭公園を横断した先(友人が三鷹市連雀に居住)の焼き鳥屋(いせや公園店)で、頻繁に飲み食いしていて、存在に気づいたのは10年後の2006年だ。そして、批判したわけである(文鳥問題)。何しろ、インキュベーター、この場合、人間の新生児用の保育器を購入してセキセイインコを飼え、などと、常識外の主張があったのだ。そして、『キャンディキャンディ』で知られるマンガ家いがらしゆみこさんが『バード先生はすごいらしい』という、長屋氏をモデルにした作品を描いていたのを知って読み、あきれ返っている(ある獣医さんの足跡から)。
 1995年、「信者」のマンガ家の作品で宣伝してもらい、最もポピュラーな小鳥であるセキセイインコの飼育本まで世に出して、これから高橋達志郎後の飼鳥臨床を牽引して行こうとの意気込みを感じる。ところが、わずか2年後に、病院を放棄して、夜逃げ同然と思われるほどの慌ただしさで、野生動物保護に目覚めて家族そろって海外移住してしまったことに、マンガではなっている。実際はどうなのかわからないが、しばらくは、マンガにも登場する「女医」が代診をしていたものの(情報元は当時の2ch)、その後の活躍を聞かないので、「鳥の病院」の先生としての人生は放棄してしまったようだ。

 さらに月日流れて幾星霜・・・、20年経ってるじゃん!の今現在、たまさかに『バード先生はすごいらしい』を見て思うのは・・・、新生児ケースに入れて飼えと言っておいて、自分ではいずれの鳥も飼育せず、フェレットを「エキゾチックアニマルだぞ!」などと、自宅兼「鳥の病院」に持ち込んで、最後の方でお子さんの坊やがセキセイインコをもらって飼い始めるが、普通に、各部屋でケージ飼いし、挙句が屋上に小屋を作って一緒に・・・、と自分が『セキセイインコ 「鳥の病院」の先生が教える飼い方』に書いたことを実践する気がないことを、これでもかとばかりに示している。
 これでは当時の人、今より厳しかったと思うので、怒っただろうな、と関係がないのに想像してしまう。となると、人生の方針転換は、著名なマンガ家による宣伝工作が裏目に出たものか・・・。

 そもそも、無茶苦茶なのである。飼っていないのに飼育本を書けると思っているのが、そもそも間違いだ。治療と飼育は別々の専門分野で、どちらでも専門家と言えるような獣医師など、普通はいないことを理解すべきであった。せっかく、高橋達志郎という、その稀有、おそらく空前絶後、が存在してくれていたのに、何も学んでいなかったのだろう。
 さらに、鳥種の違いの軽視。子どもの頃の思い出が描かれているが、小学生の頃にいろいろ鳥を飼育したような人ほど、鳥種の違いを同一種内の品種の相違程度にしか理解しない傾向がある。いろいろ飼って相違を理解すべきが、あれも飼えるこれも飼えるでは、相違に気づく感性は育たないのではあるまいか。
 したがって、飼育動物への愛情と野生動物への愛情を、あっさり同じものとしてしまうのかもしれない。当時、タンカー事故で流出した原油まみれになった海鳥は気の毒だったし、洗剤で洗い落とす作業は大変なのも理解できた。しかし、それと飼鳥に何の関係があるだろう?この手の人、動物の生命を救うことばかりに気がとられてしまう人は、残念ながら多いように思うが、臨床医の立場を理解していないと私は思う。
 臨床医にとって、患者はペット動物で、その治療にあたるのが仕事には相違ないが、ペットは医者に感謝などしない。事情が分からないのだから、痛いところに触れて何やらする動物のことなど敵視するのが当たり前なのだ。一方、飼い主は、お金を払い敬意を払い、懇願している。そういった人たちの気持ちは、「飼主の眼を持って飼って」みれば同好のよしみで共感しやすいだろうし、その期待に応えるのが臨床医の存在意義だと思えるようになる、のではなかろうか。それを、高橋達志郎は全うした。長屋亘氏は(事情はいろいろあったにせよ)途中で放棄した。

 長屋氏同様、無責任な「飼育係」に過ぎない小学生の頃の記憶と、他人からの風聞だけで飼育本を書くような軽率な真似をしているような、同類同質の人が、どの道を目指すのかは知らないが(鳥の事なら何でも知っている鳥類学者、もちろん飼育についても何でも知ってる博士・・・、宇田川竜男の再来だな。となれば臨床医ではない。2006年に亡くなった宇田川は、あらゆる小鳥の飼育に精通していたとされ、大学で教鞭をとる研究者だったが、文鳥については「愛らしい表情や動作をしていながら、まったくわからないのがブンチョウという鳥です」と言っている。しかし、立場は一飼い主だが専門性から言わせてもらえば、わからないのは実際に飼育し観察する時間と洞察力が足りないだけ、である。専門性とはそう言うものだ!)、出来れば、臨床の現場で人助けする崇高な責務を、全うすることにご注力いただきたいものである。贈る言葉も添えておこう。

 あなたが診療する中で一般的な小鳥を飼ってください。一度ではなく、飼い続けてください。幼壮老病死、生き物の移ろう変化を実体験して、他人のモノではなく、我が子のような存在へと育むことの喜びや悲しみを実感し続けてください。
 そうすれば、何の責任もない子どもの頃の思い出だけでは済まないことくらいは分かるでしょう。病気を察知するのは、日常との違和感を感じとる飼い主しかいないことを理解すれば、あなたにお金を払って救いを求める飼い主の気持ちに、心底から寄り添うことが出来るはずです。

「へーちゃん」はフェレットくんだが、襲われているのに食べるだろうとの危機感が全くない・・・
集団飼育と個別飼育での違いを認識していない。インキュベーターで飼育しない理由は不明。
何でもかんでも半端に飼ってる得意顔、動物好きなどと称する人の有りがちな話だが、生き物は生まれて死ぬまでしっかり見ることが出来なければ、わかったことにならない。読んだ知識で飼えるようになった?それは当たり前。それで長生きしたのしないのより、何を感じ取り分かり合えたと感じられたか、が、飼育で学び取るべきことだと思う。長生きさせたい日記など残すより、楽しい思い出がいっぱいあった記憶を残すべきだろう。
「なぜ生きているのか不思議だ。君の愛情に支えられている」などと言える臨床医に憧れてくれたらよかったのに、と思わないでもない。


 

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