ぶらりとてくてくを検証する

久しぶりのヒナに給餌趣味が騒ぐタイシ様

 備忘のため、病院に行った日の日記を書いていたら、家から近すぎ、炎天続きで雨も降らずで、行かずには済まなくなって、量が膨大になってしまった。読み直してコンパクトにしたかったが、あまりに面倒くさいので、ろくに見直さずに載せてしまった。
 病院名は医療センターを除きいちおう伏せておくつもりだったが、変えていない箇所があるかもしれない。・・・ま、仕方がないだろう。主観的にはすべて事実なのだ。
 で、小学生時代の回顧のため「てくてくまっぷ」を入手しようとして、果たせなかった。知らない人の方が圧倒的に多いはずだが、私の中で「てくてくまっぷ」と言えば、北鎌倉駅の横、つまり円覚寺の門前で、おばちゃんが売っているイラストマップのことである。定価などあるのか知らないが、200円くらいだったはずだ。他の場所で売っているのを見たことがない北鎌倉の名物であり、高校の通学路で売られている状況は、すでに懐かしい景色と一体化している。今現在、駅売り?駅場外売り?が存在するのかは知らないが、レアなのだ。実用ではなくお土産にすべきものだったかと思う。
 仕方がないので、地図としてははるかに優れている「ぶらり鎌倉マップ」二階堂・浄明寺編で当時の大河に乗せられ鎌倉てくてくをした母子の行動を追ってみた。おそらく、3回に分けて3、4時間ずつ巡ったのだろう。最初は北鎌倉駅で降りて「てくてくまっぷ」を買って、円覚寺、明月院、建長寺、とすでに行ったことのある寺院をめぐって帰り、次は、鎌倉駅で降りて、八幡宮から南下して妙本寺をゆっくり見て回って帰り、最後は鎌倉駅から北東方面に向かって、源頼朝の墓から鎌倉宮へ向かい、さらに東進して瑞泉寺を目指したが、分かれ道を誤って亀が渕方面へ北上してしまい、地元の人に引き返す途中にある二階堂亀ケ渕・三寳稲荷を紹介され、特に何の感慨を受けずに鎌倉散策を終えたのだろう。
 三寳稲荷の由緒は知らないが、場所や名前からして(三宝と言えば仏法僧)、永福寺の寺内社だったはずである。永福寺は15世紀には廃寺となって、てくてく母子の頃は何もないところになっていたが、元々は源頼朝が謀反人の義経をかくまったと難癖をつけて滅ぼした奥州藤原氏による寺院を模して造り、敵味方の戦死者一切合切の供養の地とした大伽藍だ。鎌倉幕府にとって極めて重要な寺院で、現在は発掘が進み保存活動も行われている(永福寺跡)。NHK大河的にも、義経の臨終地で涙した兄頼朝が、(「たたられたらヤダ~!」と思って)建てた寺なので、石坂浩二さんや大泉洋さんの演技に魅せられた人は、押さえておきたいスポットではある。
 昔の記憶も、深堀すればいろいろである。

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