エビ色から卒業

 鳥の臨床医の症例持ち寄り会に過ぎなかった鳥類臨床研究会が「より高度な知識や技術を有する専門医の候補者育成することを目的に、2020年に認定会員制度を設け」ている(こちら)。その名簿をかかりつけの獣医さんを探す参考にしたいと思うが、どうか?といった主旨のお話を伺った。で、答えるしかないが、メールアドレスを間違っているのかフリーメールの設定がおかしいのか送信できないので、この場でお応えする。

 そもそも、かかりつけ医などいらない。理由は、普通は無病息災で病気知らずだからである。用もないのに病院に行っても、文鳥には迷惑なだけで、通院が病気の原因になる可能性も多少はあるかと思う。そのためか、定期的な健康診断を薦める人もいるが、その鳥種を飼育していない人の観察眼はあまり期待できないし、そもそも診察台と言ういつもと違う場所で違った態度の文鳥の様子では、いつもと違う判断しかできない。そもそもそうした違いがわかるのは普段接している飼い主以外にはいないわけで、他人に頼るより自分の目をより確かにすべく、↓文子(ブンコ)ちゃんみたいに頑張るしかない(知らない人がこれをしたら文鳥の方はビビるわな)。病院に行くなら、自分が観察して感じ取ったことを、その獣医に伝える能力を磨いておいた方が良いし、獣医も、いかに飼い主の感じている違和感を共有できるか、そのコミュニケーション能力も問われるものと思う。そして、それは会って話してみなければわかった気にもなれないのである。
 もし「お気軽にご相談ください」と本気で言うのなら、初診料も診察料も撤廃して、予約制もやめるか別枠にして、1000円程度の相談料でも設定するはずだ(それすら取らずに「今日は見ただけだから~」お金を徴収しないと、貧乏なガラクタ年寄りが頻繁に通うようになる)。

 で、名簿は便利で、万一に備えて病院を事前に調べておくのを推奨していた私も、以前、サイトに鳥類臨床研究会所属とあれば、鳥を診る気があると評価して一覧に載せていたのだが・・・。これは、人の医者の専門医団体が行っていることを模したものと思われ、なるほど認証する側が海老沢さんなら、博士の学位も体裁上必要かもしれない、と思わせるものだ。認定証を与えるのももらうのも同じ学士であるよりも、博士様が上から目線で学士に認可した方が、上下関係がしっかりしておさまりが良い(もっとも歴史畑は博士号の有無より教授か否かの方が問題になってくる。博士号は取得しづらいので博士課程を終えて将来機会があれば博士になれるかも~と言った感じだ)。
 そして、その名簿を診てどう思うか、と尋ねられたら、↑のイメージだ。今のところ、海老沢さんの動物病院で学びかつ働いた研修医さんたちの卒業証書で、お別れ会で渡せば済むような気がする。
 ご丁寧に「認定会員試験指定図書」として列挙されているものは、文鳥を含む小型種の家庭飼育が低調、そもそも小型種を手乗りにする文化の欠如したアメリカ合衆国での研究か、また、その影響下にある仲間内の著作のみで、これでは特定の考え方以外は排除しているように思えてしまう。1960年代以降、小型鳥種の飼育が盛んな日本で、しかもセキセイインコや文鳥の手乗り飼育が主流という社会状況において、故高橋達志郎が1日百件にも及ぶと言う症例をこなしつつ培った治験を反映したものがないのは、おかしな話と言えるだろう。患者の飼い主の中には、晩年の高橋は一般書の形でその診療で得た知見を残しており(1990年『小鳥の飼い方と病気』)、その古本を片手に飼育している素人に、その素人をお客様とするプロがその内容を踏まえていないようでは、軽蔑されるだけではなかろうか?内容も知らずに一般書を排除する料簡としても、1992年に高橋の弟子である石森礼子さんが刊行した『飼鳥の臨床指針』を無視するのは偏向を疑わせるに十分だ。この専門書は2000年に改訂版も出ており、「認定会員試験指定図書」より新しく、しかも著者は、日本の臨床医だ。批判的にせよ、それを踏まえずに鳥類の臨床医が出来ると思う方がおかしい。
 獣医学博士たる海老沢和荘さんが認定してくれるのであろうその現代の認定医諸氏が、実際に診ているのは、アメリカ合衆国の獣医が主に診ているのと同じ鳥種であろうか?日本もアメリカのような飼育スタイルになったかと言えばさにあらずで、手乗りにするには向かない文鳥より小さなジュウシマツやキンカチョウを手乗りにしようとする飼い主も存在するほど、小型種を手乗りにする文化が根強く、動物病院を利用する大半は、ラブバード以下の大きさの小型種のはずである。それを診る獣医の知識が、あまり必要のない鳥種に偏っているのはおかしな話で、小型種に診療指針がないのなら仕方ないが、存在するのに知らなかったで済むものだろうか?
 同じ鳥類だから大型を治療する技術を小型にも生かせる、それはそうだろう。しかし、同じ生き物だから、人間のを治療する技術を鳥にも生かせる、のも当然ではないか?実際、手さぐりに人の治験を応用しているし、金を取りながら生体実験をしているのではないかと疑わせることさえあるだろう。何しろ自分で小鳥を飼っていないのだから、花岡青洲が母や妻で睡眠薬の実験をしたようなことも出来ない無責任な有様だ。まず飼え、新しいことをしたければ自分の所有物で試せ、当たり前ではないか?

 と言うわけで、病院の世話にならない個体がより長生きするという不変の真理を、飼い主ならわきまえておいた方が良いと思っている。それをわきまえていない獣医が増えてしまったようなので、自衛するしかない。つまり、私から見ると、今の獣医は、実に有効な昔の日本での治験に立脚せず、ヨード過剰を引き起こしたり産卵障害を助長したり危険きわまりないホルモン治療や食事制限を、平然とお客様である飼い主の家族に対して行っても、その非常識の自覚すらない、文鳥にとって行かない方がマシな存在であり、鳥専門ではなく大型インコの治療に特化すべきなのにその自覚のない人たちでしかない。

 何か治療法を新たにしたければ、その「エビ」デンスを提供しなければ、判断力のある飼い主の信頼は得られないだろう。まして、文鳥のような無病息災が基本の丈夫な生き物では、特に、だ。
 10年未満しか生きない生き物で、お金儲けもしたいのなら、葬祭業も兼ね、さらに飼い主の精神的カウンセリングの技術を履修した方が、ニーズに応えられるのではないか、と私は思う。お金持ちのペットロスの傷を癒すのも、立派な人助けであり、何よりお金になる。そもそも、一般診療にレントゲンもいらないだろう。高度な治療は、それを望む一部の飼い主のために、二次診療先が日本で数件存在すれば良く、「コミュ障」(コミュニケーション障害。ここでは人づきあいが苦手と言う意味)が、飼い主とのやり取りに煩わされることなく、その能力をいかんなく発揮すれば十分なはずだ。飼い主の精神的経済的負担を抑え、長く飼い、無くなった際には、次の飼育を考えられるようにしてこそ、サステナブル(持続可能)なペットライフと言えるのではなかろうか?
 例えば、2000年、ヘビに飲まれかけて足を引きづる文鳥を抱えて、歩いていけないでもない松本町、最寄りの駅は反町にあった海老沢さんの動物病院を頼った私が支払った代価は、初診料1200円、薬代2100円、検査料300円、合計3780円とある(当時の記録「25、動物病院に行った日」)。その後の物価上昇を考えると、今なら5000円程度の感覚になるだろうか。結果は脱臼だったが、骨折を疑って通院しているので、今ならまず間違いなくレントゲンを撮るはずだ(おそらく当時の「裏店」病院に当時は最新鋭の技術であるその設備は無い)。それが1枚5000円なら、支払いは1万円を下回ることはあるまい。レントゲンなど必要ないのにあれば使って飼い主の負担を倍に増せば、多くの飼い主は動物病院に寄り付かなくなり、費用がかかるとの風評で、飼うのをためらうことにもつながるのが、理屈だ。

 海老沢イズムも結構だが、違った視点観点もあり、師匠の呪縛にとらわれていては、自分の名で自分を頼る人を救う臨床医として自立できないだろう。誰の弟子でも自分で学んで自分流をつくれるはずで、足りない知識はいくつになっても学ばねばならない。認定医であろうとなかろうと、人助けのための鳥助け、に精進いただきたいものである。
 一方、病院に連れて行きたガールもボーイもオールドも、病院はいろいろ、行かないのがフツー、散財するから偉いわけでも文鳥によろこばれるわけでもなく、そもそも通院はリスク、と言う点を踏まえて、冷静に、寛容に、治すことばかりにとらわれず、文鳥の負担を減らすことを意識して、他人に頼らずに済むように、精進したいではないですか?

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