天皇陛下およびご皇族に人権があるのか、人間宣言をしているのだから、人権はあるに決まっている。では、日本国民として日本国憲法のもとで保障されている基本的人権はあるのか、それが議論の分れるところだが、私はあるに決まっている、という前提を持っている。
もちろん、天皇は世襲制に基づく特殊な身分であり、世襲で身分が確定している以上は、職業選択の自由はない、と見なす人は多い。さらに、婚姻の自由も、思想信条の自由も、認められないとする人もいる。しかし、それは法律の解釈論に過ぎない。例えば、両性の合意、つまり、相思相愛で互いに結婚を望んでいる場合、これを引き裂く権利は誰にもない。実際、秋篠宮様のご長女は意志を貫いた。止めようがないのである。
職業選択の自由はどうだろう。そこで前例とすべきは、故三笠宮寬仁親王だ。品行方正な現皇族にあって珍しいタイプの方で、1982年に「皇籍離脱発言」をして(ほぼアルコール中毒状態だった彼は、酩酊して、夜中宮内庁の課長に電話をし、皇室会議を開いて皇族をやめる手続きをするように言ったらしい)、世間を騒然とさせた。
なぜなら、皇室典範には「第十一条 年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」「親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」とあり、在位している昭和天皇の孫の親王の個人的事情が「やむを得ない特別の事由」に相当するか、かなり問題があったわけだ。
寛仁親王の場合、一般人で生まれたら中卒のチンピラに終わりそうな生活態度だった人物だったので、所詮酔った勢いで言っただけで口先だけで終わるのだが、これが真面目で学識のある方で、「私にも基本的人権を認められてよいはずだ。望まない公務をさせられる国家の『奴隷』として生きる気はない」と、正式に書面で申し出た場合、強制すれば精神を病みかねないとでも理由付けして、「やむを得ない特別の事由」とする他ないだろう。無理に続けさせて、外遊先で自由を求めて亡命申請などされたら、世界的な注目を浴びて国が恥をかく。そうなれば、天皇家の存続すら危うくなる。
つまり、法解釈上、基本的人権は無く拒否できない、と法学者の議論を宮内庁の職員などが説明したところで、個人としての自由を主張されてしまえば、止められるわけがないのが自由民主主義国家なのである。皇室典範など辞めさせないための方策など何も規定していない。それでは、公共の利益のため生まれながら自由を求めてはいけない、と明文化したらどうだろう?その瞬間に我が国は自由民主主義の国として終わってしまう。それは、悠久に続いた天皇制の存続よりさらに以上に、現代の日本人にとって存亡の危機になってくる。自由民主主義を捨てるのか?基本的自由を保障しないのか?象徴が無くなっても生きてはいけるが、国是が崩れれば国体もヘチマもく国民である理由すら融解する。
「日本会議」などでお勉強されている右派の人たちは、天皇制の存続を願うあまり、それが男系男子による万世一系だから尊いのだと誤認し(国家の祭祀を願い続けて継承されてきた皇室は、男系で無くなったとしても、継承者の外見が一般の日本民族と違っていても、その文化を継承する限り尊い)、男系の継承意義を探し求め、男系のY染色体の継承と重ね合わせる似非科学(何の根拠もなく無関係なことを符合させる)を信じて、それが非科学であると気づくと、過去の歴史から都合の良さそうな事例だけを摘まみだし、「主権の存する日本国民の総意に基く」とある日本国憲法第一条の「日本国民」は、今現在の生きている日本人のみではなく、天皇制を支持した過去の日本人を含めて考えねばならない、などと、わけの分からないことを主張する始末だ。
「主権の存する」はどうなったのか?遠い過去にさかのぼらずとも、明治の憲法下では主権は、神聖にして侵すべからざる天皇陛下にあった。近代国家以前の日本国とは、一体どのようなものを言うのか?9世紀、天皇家は摂関家に乗っ取られるような形から、11世紀、院政と言う天皇家の家父長(治天の君)による独裁政治体制となり、12世紀、武家政権の伸長の前に屈し、14世紀、権威のみの象徴的な存在となった。その後、応仁の乱で荒れ果てた平城京で貧窮のどん底にあえぎ、武家の統一政権に手なづけられる形で存続、それを「なめられてたまるかい!」の岩倉具視たちが覆して、天皇の下、四民平等の近代国家の君主となり・・・。それぞれの時代にそれぞれの立場があり、権力のない天皇の存在など知らない人の方が多かった時代が長い。第一、今現在の選挙権を有さない死人を相手を、今現在の有権者の支持を得て選挙で勝たねばならない今現在の政治家がして何になるだろう?票にはつながらないので、政権を失うだけである。
今現在のことは、今現在の日本人が決めるしかない。過去や未来の日本人の非難を受けないように、十分に考えねばならないが、責任は現役世代が負うしかないのである。そして、男女同権は、もはや後戻りできない人類史上の変化だろう(家事は女性、狩猟は男性、の分業の内、狩猟が戦争に置き換わり、その戦争も無くなれば、分業の必要性は消えてしまう)。抗えないのなら、その中で伝統を守っていくことを考えるべきだ。
かつての日本の左派は、現実を見ず、「護憲」「平和」とお題目ばかりを唱えていた。平和であるために憲法も変えねばならない、という思考が出来ず、今現在、「護憲」で「平和」なので、変えなくてもその状態が続くと誤解していたとも言える。では、現在の日本の右派の一部はどうだろう?「男系継承」に固執して天皇家の価値を損ねてどうするのか?神社の神主として伝統文化を守るだけでは済まないことを理解しなければ、世論の多数から見捨てられた左派の教条主義も同然である。

