お暑いのがお嫌い

夏っ子たち

 「お暑うございます」という挨拶も聞かなくなった。小学校の頃に近所の爺さん(国大跡地の野っ原で放し飼い状態で遊ばせていた犬集団のうち「レノン」ちゃんの飼い主)が使っていたのだが・・・。してみると、あのいけない犬どもの集団遊びこそ、我が家の集団室内放鳥の原風景かもしれない・・・。中学生になって、これは迷惑だろうと悟った私は(ウチのメス犬が一番戦闘的で仲間でない犬たちの脅威になっていた)、パピーちゃんを連れて野越え山越え、横浜市内を散歩しまくるようになった。
 今現在、レノンの爺さんがいたら、挨拶するより前に熱中症でひっくり返っただろう。ハゲ頭だったし・・・。

 と、今と現在は同じではない。文鳥の飼育環境もエアコンがなければ、で、エアコンで酷暑を免れれば、↑夏っ子が生まれる。昔からの伝統も知っておくべきだが、論理的に考えて、今現在に当てはまらないなら、固執してはならない。墨守するだけでは進歩などない。過去を踏まえて今現在に合った方法を模索しなければなるまい。

 で、とっても過去、ハンムラビ法典だが、この嫌になるくらい昔の法律、300近くある項目の2番目にこうある(「目には目を」で有名なハンムラビ法典全282条を読んでみる 参照)。

 魔術を使った罪で告発された者は、証明できなかった場合に河に飛び込み、溺れれば告発者がその家を得る。無事なら告発者が死刑となり、家は告発された者のものになる。

 超能力者を自称する人に対し、本物か偽物か、という議論は今でもある。しかし、いずれにしても立証は出来ず、行うなら命がけのことになってしまう。昔、明治時代だが、超能力が流行り東大の先生にそれが「本物」と信じた人がいて、公開実験で証明しようとしたが、その超能力者は自殺し、東大の大先生などお偉方の前で実験をして、「偽物」とされた自称超能力者は、おそらくプレッシャーに耐え兼ね病死してしまう。
 本人の主観では真実なのに、客観的な真贋など考えるまでもない。超能力で手足の代わりが出来るなら、長い進化の歴史でその能力を獲得した生き物があって良いはずだ。つまり、そのような超能力はあっても生存の上で意味がないのは明らかなのである。
 村社会といった小さな地域内で、天才的推理が出来る人や、それを託宣として伝える人がいるのは非常に有益ではなかろうか。ハンムラビのいにしえ同様に、命がけで真贋を見定めようなどとするのは、野暮天である。

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