大河ドラマ『べらぼう』が好評のうちに終わったそうだ。
私は始めの方しか見なかった。気に食わないので見なくなったわけではない。描かれている江戸後期の文化人のことを考えると、だんだん気が重くなるので避けただけである。
江戸後期は一般的になじみの薄い時代だが、日本の大衆文化の起点であって、教科書的には丸暗記で一つも面白くないものの、実は多士済々の曲者ぞろい、それもみんながみんなふざけた天才で・・・、という事実を少し知ってもらうのには良い機会だったのではなかろうか。
が、日本の文鳥飼育の歴史の起点も、この時代にあると思っている私には、多少の予備知識があって、がんじがらめで政治的には何もできない時代に生まれた天才たちが、のたうち回っているようにしか感じられなくなっている。さらに、蔦重となれば、吉原遊女は欠かせず、私の持つイメージは「性病みんな死ぬ」なので、華やかさ以前に気分が一層重くなってしまうのである。
普通、蔦重は50歳にもならずに脚気で死んだことになっている。だが、普通に考えれば、性病、梅毒が死因である。今、検索したところ、不思議なことにそういった説はないらしいが、性病に決まっていると、あえて断言する。
なぜなら、蔦重は吉原でどんちゃん騒ぎを繰り返しており、その相手をする遊女たちは、100パーセント梅毒に罹患している。そして、華やかさの裏で過重労働かつ貧困なので、病気は一気に悪化して20歳になる前にどんどん亡くなってしまう現実がある。したがって、花魁その他遊女の客である男どもは、全部ではないが、飛躍的な確率で梅毒に感染せざるを得ない。
しかし、そのような廓(くるわ)通いとして性風俗に入り浸るのは金持ちなので、貧困にあえぐことはなく栄養状態は比較的良い。結果、梅毒の発病は、罹患から十年以上の潜伏期ののち、身体的な衰えが生じる頃となる。まさに、アラフィフ(50歳前後)はその時期だ。
蔦重の世話になった曲亭馬琴が死因を「脚気」と書いているので、何となく鵜呑みにしているのだと思うが、客観的証拠などない。確かに脚気は「江戸患い」と言われるほど、江戸府中では一般的だが、これはビタミンB1の不足によるもので、豊作の際に白米ごはんの塩おにぎりのようなものばかり食う貧乏人限定の栄養失調である。つまり、蔦重のようなそれなりに裕福で副食を食べるような人は患うはずがない(大豆系の食べ物にはB1が含まれる。もう少し後にぬか漬けが一般化すると脚気患者が減ったとも言われている。極端すぎる食生活でなければ脚気にはならないのである)。
馬琴は自分のアイデンティティを武士身分に置いている人で(『お家再興』が彼の悲願。食うに困っているので蔦重が世話して遊女屋の婿にしようとしたところ、「乞盗」になる気はないとして、蔦重の元から逃げ出したことさえある人だ。いろいろ世話を焼いてくれた恩人が、悪所通いで性病になって死んだとは書けないだろう。そのような気遣いはなかったとしても、いずれの病気も原因不明な段階なので、脚気衝心と同様に蔦重の容態が心臓発作(むしろ衰弱だが)だったため、脚気と思っていただけではなかろうか。
例えば、おそらく大河にも登場したはずの山東京伝という蔦重ともごく親しい文化人も(馬琴にとってはこの人も恩人でライバル)、「胸痛」で亡くなっており、この京伝などは吉原の花魁を二度までも身請けして妻にしているくらいなので・・・、どう考えてもその「胸痛」は「心血管梅毒」による心臓発作である。また、ドラマの初期に登場していた平賀源内はやはりアラフィフで発狂状態になったのだが、同性愛者で陰間茶屋(男娼のいる遊郭)巡りなどしている彼が梅毒でなかったらむしろ不思議、とと言える。そして現在では、「梅毒の細菌(梅毒トレポネーマ)が脳や脊髄などの中枢神経系に感染し、頭痛、記憶障害、思考力低下、麻痺などを引き起こす」と、googleAI も説明してくれており、その症状はまさに晩年の源内そのものである。
一方で、武士的な潔癖性ゆえに(女房が怖いとも言えるが、妻もそれなりの身分のある家の人を媒酌人を介して結婚するので、気ままに風俗通いなどすると、一瞬で社会的身分を失う危険をはらむ時代である)、曲亭馬琴は80歳以上の長命を保つ。また、幕府の高級官僚でもあった、おそらくドラマでもいつも出てこないわけがない個人的に尊敬する太田南畝も、70過ぎまで官僚勤めを続けている。
明々白々、悪所通いが命取り、入りびたりの皆様お早くご落命なのである。
「脚気」とあっても脚気とは限らず、時代背景や同時代人の似たケースと比較検討する必要がある。もしや、平賀源内のような図抜けた天才がゲイであるわけがない、などと思いたいのであろうか?別にゲイでも構わないだろう。事実は事実であり、別に本人が隠していたわけではないのに、現代人が勝手な忖度をして歴史をゆがめても仕方があるまい。
女郎がみな梅毒患者なら、そこの客もほとんど梅毒罹患者になるに決まっており、治療法がないのだから、発症すれば死ぬ。当たり前ではないか?本人たちだって「死ぬとわかっちゃいてもやめらんねえよ。べらぼうめ」くらいのことは言うだろう。そういう人たちなのである。現代の真面目な基準で測ってはならない。
遊び人は短命、意外とまじめな人は長命・・・、太田南畝をまじめな官僚あつかいしたら化けて出そうだが、目をつぶっていただこう。とっくの昔につぶってやがるけどな!(「今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん」が南畝の辞世の句だそうで、蔦重の臨終についても、正午に死ぬと言い出したが死なず、夕方になって終いの拍子がならねえとか言って死んだといった内容を、わざわざ墓碑に書くくらいなので、おそらく自分の臨終については蔦重の上を行こうと企んでいたに相違ない。75歳で脳卒中では、悪魔的にふざけたプランを実行出来なかったはずで、良かったような残念なような複雑な気分になる)。
【付け足し】
蔦重の元に長らく居候していた喜多川歌麿も、アラフィフの範疇かと思う満53歳ころに亡くなっている。死因は不明だが、当然、梅毒である。その2年ほど前に手鎖50日の刑を受けているので、それで体調を崩したと見ている人がいるのだが、手鎖などせいぜい謹慎の意味でしかないことを理解していない。両手が動かせないのだから不便極まりないが、当時は人件費が安いので、今でいえば看護師も介護士もいくらでも雇える。つまり、健康上に問題が起きるような可能性は低い。あくまでも見せしめとして嫌がらせをしているだけとも言える。
しかし、歌麿の場合、この刑のあたりから体調を崩し、一方で回復の見込みなしと見た版元から注文が殺到したと言う。どういうことか?だから、梅毒である。もちろん想像でしかないが、梅毒により鼻の陥没など外貌の変化を伴う症状があらわれ、人前に出にくくなったが、明日に死ぬといった症状ではなかった、とかなり説得力のある解釈が可能なのである。
梅毒は、脳症状を起こすこともあれば、心臓発作を起こすこともあれば、全身衰弱もあれば、顔面の変貌もある病気なのである。で、当時の人は、顔貌が崩れたら「こいつぁはいけねえ。あの世に行く前にウチの仕事を片付けてもらわなくっちゃ!」という本音を、あっけらかーんとやっちまうんだな、これが。なのである。
罰を受けたショックで・・・、とか、今現在の真面目でえらい子の自分の感覚で考えない方が良い。その一例と言えよう。


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