月に1回しか面会を認めない療養病院の存在を知って驚き、数か月前に制限を緩和した別の療養病院にしても、面会時間が14~16時半に限定されていたり、面会者に検温を義務付けていたりで、基本的人権の尊重よりも過剰で無意味な感染症対策を正義として疑わない医療機関に、あきれ果てている。
もちろん、私個人は、そもそも面会が自由すぎたとは思っている。ごちゃごちゃと家族ずれで押しかけて、治療や療養の邪魔にしかならない。人数制限や時間制限など、個別にデータ化して予約制にすれば、面会する側も、記名などの面倒な手間も省けるし、患者にしても心の準備ができるだろう。もちろん、ただでさえ人手不足の医療の現場、病院事務を含めた職員たちに、管理は不可能なので、管理ソフトくらい国で開発して、大いにAIを活用して、病院側が面会管理などしないで済むようにしてやれば良いのだ
ただ、現実は、自由すぎたのが基本で、新型だったコロナ感染に震え上がった無知な医療機関が、法律上何の根拠もない内規による規制を、厚生労働省の注意喚起も無視して、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」そのものの間抜けさで、すでに五類のただの風邪に対し、「コロナ」と名前を付けて大騒ぎだ。そして、その過剰な規制が、患者の基本的人権を制約する、自由民主主義の社会では許すべからざるものであることにすら気づかず、↓の記事のような軋轢をもたらしている。
『病院や施設の面会制限、まだ必要? ペットはOKなのに孫はNG、コロナ5類から2年の現在地』
新たなコロナが致死性が高く予防法もなく治療法も確立していない当時、パニックになった人たちは、念のため念のためといろいろ不必要なことをして、それが総括できずに今も引きずっている。検温?コロナ感染で熱が出るまでになったら、ちょろちょろ他人の見舞いなどできるか少し考えたらどうだろう。あれは、症状がない感染者が熱がないので元気に動き回って、そこらじゅうで一種の空気感染をさせてしまうのが問題なのだ。日本だけだろう、熱を測って感染対策になるなどと思っているのは。
初期のダイヤモンド何とかの豪華客船での感染拡大は、換気不十分な船内に活動的な感染者がいたの原因だが、接触感染が疑われた。そんな話は、地下ライブ会場での集団感染の事実を見るだけで、空気(エアロゾル)感染だね、インフルエンザと一緒だね、で終わっていたのだが、運転手の宿舎か何かで集団感染が起きた際は、「蛇口があやしい」などと言いだし、私は腹を抱えて笑ったものだ。そんなの、非番の運転手が一つの灰皿を囲んでもくもくだべりんぐタイムをして、仲良く感染したに決まっているのに!
不幸にしてコロナで亡くなった人に対する扱いなど、およそ無茶苦茶だった。接触感染ではない点を徹底していれば、ビニール袋に入れて火葬場に直行してさっさと焼かれるようなことはなかったはずだ。息をしない死人がどうやってコロナをエアロゾル化させたりできるのか?念のためなら、遺体に触れるのを避ける程度でよく、葬儀屋が少し扱いに気をつければよいだけではなかったか。それだけで、遺体をゴミのように扱うような人権を無視した行動をせずに済んだ。
現在、夏風邪が流行っている。コロナらしいが、ただの風邪だ。「悪い風が流行ってますから、お体にお気を付けください」で良い。非科学的で人権意識を欠く押しつけはやめてもらいたいものだ。
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