ご本家がある安心感

 なぜ、我々は天皇家を尊ぶのか?

 今さらのようで、「尊いから尊い」と言われそうだが、それでは信じるか信じないかだけの問題になり、納得しない人も多いだろう。もちろん、論証を欠くものは科学ではなく学問の対象にならない。また、信じない人を説得するのも不可能だ。
 残念ながら、論理的に誰もが納得できる理屈は無い。神武天皇を経て突如黄金の輝きを帯びたY染色体など存在しない。もしくは存在しても意味がない。天皇を由来の男系男子なら、源氏の子孫もや平氏の子孫に限らず、普通に、養子で他氏族との横断が行われている以上、どこにでも存在するのである。
 過去の日本人が天皇家を尊重し続けた思いを、今現在の日本国民が無視して良いのか、などと、Y染色体に男系男子の正当性を求める愚論を展開した過去の反省もしない人たちが、上から目線で教え諭しても、批判力のある人の心には響かないだろう。そもそも、天皇、「都におわす天子様」のことなど、否かの田吾作には想像もできないし、南北朝時代の足利幕府の北朝に対する扱い方を確認するだけでも、尊王精神など信じられない(都合次第で担ぎ上げ存在も忘れて放置する。忘れられた元天皇が放浪することにもなる)。 過去は過去だ。問題は、今現在の天皇を、なぜ大多数の日本人尊いと思っているか、その尊貴性に論理的な説明が可能か、である。
 そして私は、結局ありきたりな話しか思い浮かばない。「日本国民の多くの家の本家だから」、である。何しろ、故ミヤコ蝶々さんがかつて「ご先祖様は大切にせなあかんのよ」とCMで言っていたし、今や宗教法人ではない統一教の信者営業マンは、「5代前の先祖が地獄で苦しんでいる」と脅して、壺などなどを売りつけていたのを見れば、先祖崇拝はいまだに日本人の深層心理に潜んでいるのが一般的かと思う。
 日本人は素朴に先祖を祀る習慣を持っている。と見なして、ウチの仏壇を見てみる。父親の位牌がある。母親は病院でミイラのようになっているがまだ生きている。他は父親が死んだ時に1つにまとめた。父方の祖父母と伯父叔母のものだ。ではその以前の先祖は誰が祀っているのか?それはまったく知らないが、おそらく祖父の兄の家が祀っているはずだ。さらに、その我が家の本家の先祖をたどると、まず間違いなくさらなる本家があり、さらなる先祖も祀ってくれているかもしれない。それを、さらにさらにたどっていけば、天皇家が本宗家になる家も多いはずである。となれば、天皇家は自分にとっての本宗家、自分の先祖のいきつく果てを皇祖皇宗として祀ってくれていると見なせる。
 ウチは平氏でも源氏でもないから、天皇家にはつながらないと思うかもしれないし、ウチもそうだが、真実はどうだかわからない。女系も何もかも含めて先祖に日本人を持つ今現在の日本人は、どこかで天皇家につながっている可能性が高い。よほど閉鎖的な地域で生活していても、古代以来変わらず、外の世界からやって来て住み着いた家と婚姻関係を持たないことは、まず、無い。山岳部を行き来する山伏だったり流浪の坊さんなり、農村の入り婿になるのは、日本では上古以来ごく普通なのである。その人が、天皇の男系男子かもしれないし、少なくとも天皇の血を引く可能性は高い。
 親は二人、祖父母は4人、曽祖父母は8人・・・、祖先の数は倍倍で増えるが、100代ともなれば途方もない数になる。同じ人物が含まれるので実数は限られるが、天皇を絶対的な家父長とすれば、日本人全てが「赤子(せきし)」、一族の赤ん坊、と見なしても、さほど無理からぬ感覚と言える。これは、Y染色体と違って、統計的な科学的事実である。
 さらに、日本人の家制度は、祭祀権を継承し管理することが重要で、血縁によるつながり以上の意味を持っていた事実もある。家柄も売り物にされた江戸時代では、まったく見ず知らずの赤の他人に家柄を売ってしまうことが多くあり、その際は、系図を渡し、家の祖先の祭祀を依頼するのが通例であった。血縁は無関係でも、系図を継承する以上は、先祖としてまつる義務を負うわけである。

 自分は仏壇で祖父母を祀っている。それより先の先祖は本家が祀ってくれている。その本家の祖先はさらなる本家の子孫が祀ってくれている。そうした、男系の血の継承はどこかで途切れているかもしれないが、祭祀権の継承を伴う系譜は、おそらく天皇家に行きつくだろう。何しろ、少なくとも1500年、神話の時代を含めれば2000年を超えるような系譜を持つ(家父長制が基本なので男系男子)我が天皇家である。どこかでつながらないわけがない。
 そういった意識は、先祖を祀るにしても、最終的に天皇家が担ってくれているとの、安心感をもたらすのではなかろうか。そして、それが日本国民の一体感につながり、さらに、民族の純粋性など追い求めずとも、目が青くても肌が褐色でも、さらには「祭祀権」に象徴される日本文化への理解者なら誰であれ、同胞として包摂してしまう柔軟性にもつながるものと思う。どう見ても日本人っぽいがどこの馬の骨かわからなくても本家は天皇、どう見ても日本人に見えなくても本家は天皇、血筋の問題ではない。一体感(同胞意識)の依り代であり、それこそ象徴と言えるだろう。
 このような立場、本家を尊ぶのは、当然ではなかろうか?もちろん、家父長制を基にしたイエ制度は崩壊したが、「ご先祖様は大切にせなあかんのよ」と言う感覚が少しでも存在する限り、天皇家の象徴性は揺るがないのではなかろうか。
 男系男子でも構わないが、そのような枝葉末節にこだわらず、ご本家の弥栄を祈りたい。

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