
立てこもっていたクマがカギを開けて逃げた、などと言っている(記事)。ほぼ確実に閉め忘れ、閉めないまま放置していたのだと思うが、窓を開けただけでも尋常ではない。檻にエサを置いたらエサだけ持って行って檻の中に入らない・・・。これを知能が高い天才熊だ!と言うのは少々短絡的で、慣れていると見なした方が正解の可能性が高いかと思う。
それにあのクマ、従業員を追い掛け回して襲っている動画がニュース映像になっているが、私には襲っていると言うより、じゃれついているようにしか見えない。人を獲物と思って襲うなら、倒して噛みつくだろうし、敵対動物と見なしたのなら、爪でひっかくだろうに、ただ、逃げ惑う人を追っかけまわしている・・・。
もちろん、逃げるものを追うのは習性だが、それは自分のテリトリーを守る場合で(テリトリーから追い払うための本能)、たまたま遭遇した相手に逆上したなら、頭の中の大勢は「逃げ」なので、一撃したらその場を離れるはずだ(従って、頭や首を防御する姿勢で耐えるのが正解になるが、自分を食いに来た相手に私がそのような姿勢をしたら、哀れな獲物となっている私は腹から食べられて痛い思いをする。ケースバイケースなのである)。となると、もしかしたら飼育されていた可能性が考えられるのではなかろうか。そのあたりを少し調べた方が良いかもしれない。
専門家にそのような指摘はない?だって、野生の熊の専門家と言うのは、家で犬を飼った経験もないかもしれず、飼育された生き物の行動については疎くて当然ではなかろうか?通常の専門家とはそう言うものだ。それにしても、アーバンベア(都市化したクマ)どころか飼育された者までまぎれているとなったら、あの脱兎のごとく逃げたり(追いかける本能を刺激する。人間の方が遅いので背後からベアークローの一撃を頂戴することになる。相手は殺す気はないはずだが、人間は毛皮をまとっていないので、それだけで致命傷になる可能性がある)、自動車で追い掛け回したり(興奮させてしまう。興奮状態になったらわけがわからず暴れるので、非常に危険なことになる)する、無知でダメな行動をしてしまった人たちを笑えなくなる。常識的な対応が正解にならなくなるのだ。
目を見て語りかければ、あの個体は喜んだかもしれないが、常識的には自殺行為だ。たまに野生のクマに遭遇したら、目を見て後ずさりすると致命的な勘違いしている人がいるが、それは、クマのテリトリーに入ってしまって、そのテリトリーの所有者であるオスグマと鉢合わせた場合、「視線をそらさずに」後ずさりする、と言う対処を誤解したものだ。信頼関係にない相手の目をにらめば、それは「ガンを飛ばす」であって「ケンカ売ってんのか!オラッ!!」となる(視線をそらせば、それは「負けました」のサインなので襲ってくる。目をそらす=逃げる、なのである)。
例えば「相手の目を見て話そう!」と言うので、面接官の眼から視線を外さないような真面目な子はいるものだが、それも気持ちが悪いと気づかないといけない。では「面接官のネクタイの結び目を見る」と言えば、そこから視線を外さない子もいる。ネクタイの結び目当たりを基本にして、時折、相手の眼に視線を合わせる、が正解だろう。このアイコンタクトが、相手が強調したい時、相手に伝えたい内容を話す時、タイミングが合っていれば、心が通じることになる・・・んじゃないか?面接する人が鈍ければ話にならないわけだが。
飼い主はペット動物の目を見て話すのに慣れているので、自然に目を合わせようとするものだ。しかし、それは信頼関係があればこそで、おびえる相手を見つめればにらむことになって恐怖しか与えないのである。従って、古今東西、目力を利用する巫術的要素は重要視され、一つ目でぎょろりとするモニュメントは文化人類学的な・・・(閑話休題)。
身近では信頼関係がない大型犬と視線を合わせようとして、がぶりとやられるケースがある。被害者はたいてい犬が好きで自分も飼育しているような人だ。自分の犬と遊ぶ時同様に親愛の情を示そうとして相手と目を合わせる。すると、相手は「無礼者が!!」か「ガン飛ばしてんじゃねぇ~!」と、ほとんど本能的反射で噛みつく。大型犬に多いのは、大型犬は体力があって自分が人間より弱くないと知っているからだろう。その点クマと一緒だ。犬の場合は、テリトリーではなく社会的上下関係を判断基準にするので、優劣不明の相手に「上から目線」(人の方が背が高い)で来られたら、こちらの方が上と教えてやらねばならなくなる。その点、人づきあいでも、自分より立場が上の者を見るのは失礼になることが多いのと、基本は同じと言えようか。
文鳥なり小さな生き物が、自分よりはるかに大きな人間の目を見つめるのは、相手の反応を知りたいからだ。その点、リーダーに従う習性のある犬は顕著で、一所懸命に見つめてくる。アイコンタクトを求めるのだ。そして、お互いの気持ちが理解できたと感じた時に、信頼関係は生まれる。それは飼い主だから出来ることだ。
小鳥宿屋の店主でもある私は、他人の文鳥に接するわけだが、視線を合わせない相手の目を見ようと努力はしない。かえっておびえてしまうからだ。相手が視線でこちらを追うようになったら、目を合わせて話す。名前を呼ぶ。
当たり前である。何も聞かなければ、たいていの人は自然にそうするはずだが、「目を見て話しましょう!」などと簡単に言う人がいるので、変なことになる。クマをにらんで逆上されるような、命知らずな真似もしてしまう。断片知識、うわべの情報を、その意味するところも知らずに知ったかぶりするのは危険と言えよう。
また、専門家はいろいろで、それ以外の常識を持っているかは別問題とわきまえなければ、間違った先入観を植え付けられて苦労することにもなる。鳥の専門医?「小学生の時に飼ってた」だけで、その飼育を語れると思っているだけで、何もわかっていないことを露呈させている。文鳥の専門家?、繁殖したことがなければ、経済動物として孵化10日目に親鳥から取り上げるのが当たり前だと勘違い、11日目に目が開くからその前でなければ親鳥の顔を覚えてしまうと訳知り顔だが、たんに、昔からの知識に対する素養に欠けているだけ、10日目にするのが次の繁殖を早めるための経済的理由に過ぎないことも知らないだけ、そうしたことに気づかないし調べられないのは、自分が繁殖を刺せない飼育しか知らないだけ、なことにも気づいていないからに過ぎない。つまり、専門的知識とは極めて狭いことが多いと悟って、自分の文鳥については世界一の専門家であらねばならない飼い主が、偏頗な知識で危険なことにならないように、しっかり考えて判断しなければならない。
なんちゃら先生が言っているから正しいとか、飼育本にこうあったとか、文鳥屋さんを信じる、とか、楽をしてはならないのである。「溺れる者は藁をもつかむ」でさようなら、「鰯の頭も信心から」して干からびた、では飼い主として困る。もちろん、「無知の知」をわきまえている私が一番正しいと、私は思っているが(何しろ家庭飼育の様々な局面を経験している)、それでも信じ切ってはいけない。答えはそれぞれの家庭で、それぞれの個体で違うからである。ワラやイワシなどあてにしてはいられない。
「目を見て」と「視線を外さない」、そうした言葉だけなら似たようなものでも、場合によっては生死を分けるようなこともあり得る。しっかり、自分が専門家と言えるようになってこそ、ベテラン、より正しくはエキスパートと言えよう。
