熊森協会なる自然保護団体が、国に要望書を提出したそうだ(記事)。
子グマの捕殺について「生命倫理の観点から人道的に問題がある。戦時下でも女性や子供は殺さないのがルール。子グマに手を付けるのは間違っている」と強調。「吹き矢でいったん眠らせて、山に放つのがいい」
もちろん熊に罪は無いし、子熊ちゃんがかわいそうなのは、たいていの人は皆そう思っている。ただ、この人たちの主張のように子熊を山奥に放してやっても、そこを縄張りにするオスの成獣(「山親爺」)に惨殺されて食われてしまう可能性が高い。また、運よく難を逃れるとして、難を逃れるために人里に接近するのは避けられず、母熊から教育を十分に受けなかったために冬眠のすべを知らずしかも人慣れしている飢えた若熊は危険極まりなく、人食い専門の化け物に成長してしまう可能性を持つだろう。そのように育つ可能性を理解せずに山に放したら、無責任どころか人殺しに加担したようなものである。
熊たちは、人間と生活圏のすみわけが出来ないので、飢えて中心市街地にまで入っているのである。山に住めないのは、食べ物が無いからで強いオスの活動範囲が広がったからだ。その状況を理解せず、人と野生動物の区別もせず、「かわいそう」と言うのは無責任だろう。まさか、保護活動をしているならオスの成獣の子殺しを知らないわけはあるまい。ツキノワグマでは最近映像記録も確認されている。そして、「かわいそう」な子熊ちゃんが人里近くで成長して、今現在、実際に人を捕食している。
問題は、食に窮して市街地に入り込んだ熊だけを捕殺していたら、絶滅の危険があることだ。従って、間引いて、現在の山の環境で生存できる数にして、かわいい子熊ちゃんがお母さん熊と平和に暮らせる状態にしたいのだが、それは、とても難しく(全身を筋肉で覆われる鋭い牙と爪を持つ野生獣だが、大きさは人間並みだ。山登りで行方不明の人を探すのが至難なのと同様に、発見するだけでも難しい)、とりあえず身に迫った危険を除くため、捕殺を繰り返さざるを得ない。
本来必要なのは山狩り。国軍(自衛隊)にやってもらうべきは勢子(せこ)役、つまり周囲を大人数で囲んで、ハンターが狙撃しやす場所に追いたてる役割だが、それでも「山親爺」を狩り出せるかはかなり疑問符が付く。レンジャー部隊が山奥を巡邏している際に遭遇して捕殺する他ないのではなかろうか。住み分けには、人の恐ろしさを刷り込む必要もあるのだ。
結局のところ、母子が激減して次代が育たず、生育数が絶滅の危険をはらむまでになる可能性が、残念ながらかなりあると見なすべきで、この熊さん協会のやさしい人たちの活躍は、その時に始まるかと思う。それまで、「お花畑なおバカさんたち」、とレッテルを貼られないように、緊急事態の現在、的外れなことを言わずに逼塞しているべきだろう。
熊の話では、シカが爆発的に増えてしまい、それによって木の実などを食い尽くされ、熊の食料が奪われているという説もあり、さらにニホンオオカミを人が滅亡に追いやったため、シカの大繁殖を招いたのだ、との主張も目にした。しかし、それは無理筋だろう。私も、人を襲う危険性の少ない山犬(諸説あるが大まかに見れば小型のニホンオオカミ)など絶滅させる必要はなかったと残念に思っているが、絶滅したのは明治期、20世紀初頭だ(害獣と見なして狩りつくしたとされるが、主因は狂犬病とジステンパーだと私は思っている。集団生活をする動物なので、感染症の影響は絶大なのである)。
オオカミがいなければシカは増えるはずだが、近年までそうならなかったのだから、オオカミがいなくなってしまったことより、人間がシカを食べなくなったのが、シカの生息数が増える主因と見なすべきだろう。そう、俳優の東出さんのように、猟師化して奥山に踏み入って狩った獲物をさばいて食べる、といった生活をする人が、オオカミのいない日本ではより必要とされたのに、現実は高齢化で先細りなのだから、シカが増えないわけがないのである。
つまり、いずれにせよ、プロのハンター集団を国家公務員のレンジャー部隊に組織して、かっこいい制服と国土の自然環境の保全と言う高い理念が持てるようにして、小学生のなりたい職業№1になる近未来を期待している。
と、九州って熊いないんだよな。くまモンはいるけど。温暖化が温室効果によるものなら、本州も積雪の防御を失った「山親爺」を狩りやすくなるのだろうか?などと考えつつ、野生動物の話なら、クマよりスズメだ、と別の関心に向かってしまう。最近、尊敬する旭山動物園の元さん、こと、坂東元さんが、スズメの生息数が減っている事実から、都会でもスズメが生息するような社会を望む話をされているのを読んだのである(記事)。
感想?私もスズメは好きでいなくなったらとてもとてもとても悲しいが、あえて言おうではないか、「パンが無かったらお菓子を食べたらいいじゃない!」のごとく、「スズメがいないなら文鳥を飼えばいいじゃない!」だ。文鳥も、朝から、チュンチュン鳴いてくれるぞ?それも肩に乗って耳に向かってしてくれるかもしれない。スズメよりさらに身近な存在で!!昔の日本家屋に戻すなどという猛暑の現実では有り得ないことを想像せず、涼しい屋内で文鳥の観察ができる。もちろん、「スズメのお宿」を生み出す余地はある。小池百合子さん、都知事閣下におすがりするだけで良い。太陽光パネルを新築住宅の屋根に設置する際に、ちょこっとスズメの巣になるような・・・、塩ビパイプでいいんじゃないか、を紛れ込ませてもらったら良い。崖の水抜穴で巣作りされるより、はるかに無難だし、スズメたちにはより快適な物件になるはずだ。多少汚れるが、屋根の上など誰も見ないし、パネルの下なら発電への悪影響は軽微だろう。お家の屋根に鳥、それも福良雀と言われる縁起の良い生き物が巣を作っているなど・・・、有難いことではないか。太陽光ともどもに「エコ」だ。循環型社会に野生生物の保護活動、一石二鳥であり、小池さんの善政は末代まで語られよう。
しかし、そのような「野良」を維持する工夫より、やっぱケージで文鳥を飼った方が良くね?リビングのケージを見守るのも、動物園で動物の自然な行動を観察するのも、同然ではなかろうか?野生でなければダメなら、動物園などいらないだろう。どうよ、元さん。

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