
そういうものは感じ取るものなんだよ。教えてもらえるものなわけなかろうが。だから、そういった利いた風なことを言っている連中は何もわかっていないと喧伝するに等しいと知れ。が、今現在の私の結論である。感性の問題を知性でとらえようとすると、何も感じ取れなくなる。
マメちゃんが手の中を求めているのを感じ取りながら、忙しさに紛れて看取れなかったのを私は悔やんでいるわけだが、何のことやらわからない人も多いだろう。手のひらで看取る経験などなかなかできるものではないからだ。が、探せば体験談はいくらもあるし、私も何回か経験している。特に長患いで手のひらに入れる機会が多くなっていた子は、臨終にあたって手のひらを求める。出入り口で今か今かと待ち焦がれ、手の中に入ったら安心して死んでしまうのである。
こういうことを書くと、自分もそういった体験をしたいと思う人がいるはずだが、そのような体験はしなくて良い。感動?当事者になればそれどころではないし、そう思ったとしても所詮まやかしだろう。そもそも、そういった手のひら臨終の子ばかりが、「正しい」わけではない。「手を出すな、気安くするな、わたしゃ巣の中で寝るんだ!」といった子も多いので、飼い主が自分がそうでありたい「正解」を求めて手の中に包み込んでしまったら、かえって最期を全う出来なくなる。勝手な感動を求めて、相手の気持ちだとか心がわかるわけがないではないか?
そういった、悩みを抱えながら、自分の文鳥と「対話」し続けるのが飼い主だ。心や気持ちをペーパーに書いて初心者に伝えようなどとするアーパーとは違った存在でなければなるまい。こうしたらこうなるというほど単純ではなく、こうしたらどうなるかしっかり見届けられるだけの心や気持ちを、飼い主の方が持ちたいものである。
で、わからないのが↑だ。
チバちゃんの連れ合いの彼、アホならぬアオは、私が差し餌をして育てた1羽だが、カゴに帰るのを嫌う。帰らずに何をしているかと言えば、カゴの上でじっとしている。放っておけば帰るだろう、何しろ巣には自分のヒナがいて、かなりの育メンなのだ。と、最近、夜の放鳥後は放置したところ、翌朝になって自力でカゴに戻ってチバちゃんと交代するようになったので、黙認していた。
ところが、いつまでたっても帰らなくなったのが、マメタが亡くなった日だ。チバちゃんは心配して迎えに出てくるのだが、この子も変わった子なので、「何してるの?そ、じゃ私帰るから」と何がしたいのかわからない態度で、結局追い回さねばならないことになった。
何を考えているのか、その気持ちはわからない。そういった場合もあるのだ、みな同じでもつまらないから、鬼っ子も必要なのである。
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