「とり越し苦労しない」

がんばるマメ

 マメがよたよたしながら頑張って食べている。
 毎度のことで、その都度繰り返しているが、これは病気を隠すために元気なふりをしている姿ではない。おそらく消化器官の動きが弱くなり、食べても空腹感が満たされないので、頑張っている姿だ。なぜ、いつも見ていながら、そういった病気の小鳥の気持ちを感じ取れないのか?愚かな人の見当はずれな解釈などに左右され、観察眼を鈍らせてはならない。
 一心不乱に食べている。生きようとして頑張っている。それだけである。生きる努力を続ける姿は、痛々しくせつないが、健気でいとおしく思わずにもいられないだろう。そのように感じ取ったら、それが1日2日余命を縮めることになったとしても、望みをかなえるのが飼い主ではなかろうか。食べたいものが十分にあった時、その子がどれほど喜ぶか、しっかりその様子を感じ取れるように、でたらめな無駄知識は捨てなさい。

 小鳥の一種(おもにチドリ)に擬傷行動(繁殖中の巣に外敵が接近した際、傷ついて地面でもがいているような行動をして外敵の注意を引き、巣から離れた方向におびき寄せてから逃げ去る)があることを知識として聞きかじって、食欲がないはずなのに食べるふりをしている、と、いい加減な当て推量をした人がいただけで、でたらめである。
 病気で動物病院に行って診察台に乗せたら、一所懸命食べ始めた、などと言う体験者もいるかもしれないが、緊張してお腹が空くなど、人間にもあることで、ストレスにより血糖値のバランスが崩れてそういった生理現象も起こることも知らないで、医療行為など難しいのではなかろうか。
 医療従事者が、「ふり」などを信じるなど笑うほかあるまい。見ず知らずの怪しいあなたの前で、小鳥が緊張しているだけだ。その程度、感じ取れないようでは「鈍い、鈍すぎる。だから頓馬なんだ」と誰か(オレだぁ!)に言われるだけだ。

 無知な飼い主にふりをするなどと間抜けなことを言ってしまっている無知な獣医さんは、やはり故高橋達志郎先生のお言葉から学んでいただければと思う。『小鳥の飼い方と病気』P34「病気の見分け方」に次のようにある。

 生理学なくして病理学がないと同様に、健康な小鳥の様子がわからなくては、病鳥を見分けることはできません。

 小鳥たちはとり越し苦労をしません。したがって人間のようにいわゆる“病気”にならないのです。

 「生理学なくして病理学がない」、医学の知識があればあるほど、臨床医なら突き刺さる言葉ではないかと思う。この部分は飼い主に対して、普段の様子をよく観察して変化に気づけるようにするように、一般飼い主を諭しているように読むのが素直な態度だが、現在の私は、飼育経験がほとんどない、入院した小鳥しか知らない獣医さんに対する嫌みのように受け止めてしまう。健康な姿を知らないで、それをよく知っているはずの飼い主以上に、何がわかると言うのだろう。「診察すればピタリとわかる!」など不可能だということくらい悟っていただきたいものだ。
 また、小鳥たちは(鳥だけに)とり越し苦労しないので、気持ちの上での病気、仮病のようなものはない、したがって、観察していれば変化は読み取れるはずだ。といった意味合いだと、現在の私は受け止めている。つまり、「食べるふり」などない。それどころか、このような指摘もされている。

 小鳥はどこかぐあいの悪いところがあると、まずえさの食べ方が悪くなるものです。一生懸命にえさを拾っているように見えて、ほとんど食べていないときもある。(中略)一生懸命にえさ粒をかみくだき、粉をつくっていることもあります。

 故高橋先生と、この点私は見解を異にしている。私はかなりの部分は飲み込めているが、栄養として吸収できないので、脳から空腹サインが出続けて、食べ続けることになっているのだと見ている。何しろ、湯漬け餌のような粉にはならないものも食べているし、吸収できないヒナが、食欲が旺盛でも成長しないという現象も経験しているからである。
 しかし、そのような細かいことより、高橋先生が詐病のようなものを一切認めず、知ったかぶったバカ話を無知な飼い主にひけらかして、ろくに病気の鳥の頑張りを理解していない、現在にも一部に存在するチープな獣医さんと異なることに感銘を受けるではないか?「一生懸命」と二度まで繰り返さずにはいられないのだ。
 「ふり」などしない。一所懸命生きる努力をしているだけだ。しっかり、その気持ちを受け止めたいものである。

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