
動物行動学者の権威、故日高敏隆は、人間も動物と見なし、教育については「人は作るもんちゃう、育つもんや」という信念を持っていたことで知られる(久恒啓一さんの記事参照)。
一方、大日本帝国連合艦隊長官山本五十六は、次の教育訓を残している。
やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
私が山本五十六を知った気分になれるのは、北杜夫や遠藤周作の愛読者で、両者の対談などでよく話題に上る阿川弘之も読んでいたからである(旧海軍の「左派」として知られた米内光政、山本五十六、井上成美の伝記小説など)。「イソさんは、座敷で逆立ちしながら、こんな小学校の校長先生みたいな話を練っていたんだなぁ」と思っていた。
文鳥の場合、日高流に「文鳥は作るもんちゃう、育つもんや」に相違ない。動物にも芸事を教えることは出来るが、人間のように教育は出来ない。しかし言葉が通じる飼い主には、山本五十六流で行かねばなるまい。
文鳥の差し餌は、まずやって見せて、注意点を言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらないと上手くならない。子どもを飼育係にしたら、放ってはおかないで、飼い方接し方について話し合い、子供の意見に耳を傾け、良いと思えばまかせてやらないと、責任感は育たない。一所懸命頑張っている子供の姿をよく見守って、ありがとうと言って任せないと、責任を果たす誇りを持った人にならない。
・・・やはり校長先生、子育てだな。
人間など他の動物とほとんど変わらないが、わずかに違う部分が重要で、その部分は育てなければならないだろう。偉い人は誰でもそうしている。ソクラテスも孔子もキリストも、集った弟子たちを教育している。繰り返し繰り返し、言葉を変え、例えを変え、噛んで含めるように、である。その一端を読むだけで、「そんなこともわからんのか!」「何度言わせるんだ!」「少しは自分で考えろ!」と思ってただろうなと、凡夫は想像してしまうが、それを態度に出さないから偉人なのだろうと思う。
人は、「人は作るもんちゃう、育つもんや」と姿を感謝で見守って、信頼してくれる師匠にめぐり合ったら、実って見せないといけないが、そうした師匠を持たずプレッシャーを感じずに済むのも幸いかもしれない。「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」とはいえ、年長の師匠は弟子の活躍を最後まで見届けることは出来ない。
文鳥の色合いをデザインして作る、などとして、勝手気ままに繁殖実験をする人が、昔は結構いたものだが、そんなもの作っても仕方があるまい。ヒヨコに塗料を吹きかけて色々に見せるような真似を、繁殖で行うなど、生命軽視と言われるだろう。
育っていく文鳥の姿を感謝で見守ってくれる飼い主でありたいものだ。
