2018年にエッセイストの竹内久美子さんの「LGBTには「生産性」がある」を読んだ時は、目から鱗の落ちる思いがした。
「個体だけを見ていても理解できない問題を解くカギは、その個体の血縁者にまで視野を広げるということである」として、男女の区別などせずに検討すると、「男性同性愛者と男性異性愛者の父方については差がないものの、男性同性愛者では母方の女たち、つまり母、母方のオバ、母の母である祖母たちがとてもよく子を産んでいることがわかった」と調査結果を紹介、「男性同性愛者の母方の女が子をよく産むのは、単に女性ホルモンの代表格である、エストロゲンのレベルが高いことによるのではないかと私は思う」と推測している。また、男性ホルモンが標準値以上の家系では女の子が男の子的になる可能性も示唆されている。
育ち方や経験に起因するはずで、また、女性的な男性が異性にもてない、男性的な女性が異性にもてないとは、一概には言えないかと思う。ボーイッシュに惹かれる男の子もいれば、女の子言葉でふにゃふにゃやさし気な男の子にくっついて回っている女子2人組、というのはよく見かける「風景」だ。
したがって、性的マイノリティとなる理由のすべてを遺伝で説明するのは無理だと思うのだが、遺伝による宿命的な面もあると理解できれば、性同一性障害に悩む人にとって救いになるケースもあるかと思った。とりあえず、いろいろ有り得るので、性急に答えを求めて決めつけず、よくよく考える際に、この科学的解釈はとても有益ではなかろうか。
従って、竹内さんは、日々のネタどりのためならとかく無分別にもなりがちなエッセイストとは思えないほど、科学的な思考をされる方で、私の愛読書(『ソロモンの指輪 動物行動学入門』)の翻訳者でもある日高敏隆の門下生というのもうなづける、と思い、産経新聞に掲載される竹内さんの「正論」を楽しみにしていた。ところが、天皇の継承問題に関する主張には、大いに失望することになった。
竹内さんは2019年「皇統の男系男子継承の深い意味」の中で、「Yについては交差が起きず、父から息子へ、そのまた息子へといった男系で継承している限りまったく薄まることがない」として「愚論とさえ言う人もいる。私にはどうしてそんな考えに行きつくのか、理解できない」と書いている。
「薄まる」とは何であろう?神武天皇の遺伝子が代を重ねるごとに半減していくのは当然だが(子供は50%、孫は25%・・・)、父母から別々の形質を受け継いで変化していくのが遺伝であり、それは良いことでも悪いことでもなく単に科学的事実に過ぎない。「薄まる」、つまり変化することがほとんどないY染色体は、神武天皇の個性を伝えているはず、などと言うのは、驚くほどに非科学的だ。なぜなら、人間の男はY染色体を持っていて、そのY染色体が「まったく薄まることがない」なら、神武天皇の子孫から枝分かれしたのか、その以前の遥か昔に分岐しているのかは知らないが、男子たるもの男子なるものみな神武天皇と変わらないY染色体を持っていると見なさざるを得ないではないか。
実際の科学は、Y染色体には男女を分ける以外の意味合いは無いものとしている。ところが、竹内さんは「科学的説明などまったくなかった時代に、先人たちは直感的に見抜いてしまった。あらゆる手段を講じ、男系男子による皇統の継承を護った。この事実が重要で、その歴史を今になってわれわれが放棄することなど、あってはならないのである」と科学的説明など欠片も無しに断言している。
直感?神武天皇のY染色体に何か重要な意味があり(仮定)、それを直感的に理解した(仮定)ので、男系男子の継承が行われた。仮定を積み重ねて何を科学的事実のように主張できるであろうか?説得力はゼロであり、ほとんど意味不明と言わねばならない。
動物行動学の立場で、異分野の歴史について識見を述べられるのも勝手だが、これでは生物を神が創造したもので、自然に進化したものではない、とする「創造論」と同じである。神様は存在する(仮定)。神様は全知全能だ(仮定)。神様なら神羅万象なんでも創造できる(仮定)。サルはサル、人は人、サルから人に進化するなどあるわけない。進化論などウソに決まってる。このような考え方があっても、個人の自由で構わないと思うが、非論理的で非科学的なのは否めない。「直感的に見抜いてしまった」で済むなら、自然科学、人文科学の別なく、科学者など無用の長物ではないか。
また、竹内さんは「女系天皇は女性天皇の夫の側の子として認識され、これが即(すなわ)ち王朝が変わるという意味である」「過去に藤原氏は多くの娘を宮中に送り込んだが、息子を送り込むことは一度たりともなかった。それは男系で皇統を継承していたからで藤原王朝が発生することがなかったのもそのせいなのである」と、学問領域を超えて、つまりご自分の専門外で主張されているが、「夫の側の子として認識」するのは、夫を家父長とする時代の話で、女性を当主としてその子が継ぐ、つまり女系で引き継がれたところで、王朝が変わるなどと見なす人は、現代ではごく少数派だろう。ヨーロッパの王室も最近になって男系優先を捨てたが、それで王朝が変わった、などと問題視されているだろうか?一体いつの時代に生まれ生きているのか、考えさせられる。
「藤原王朝が発生することがなかった」とおっしゃっているが、それは人文学的にはその通りだが、自然科学的には事実かどうか確証はないかと思う。婚姻関係を繰り返し、平安京の皇族と貴族は血縁的には一族集団化しており、『源氏物語』を引用するまでもなく、男系が藤原道長なり藤原不比等なり中臣鎌足なりを経たもの、神話が好きならアメノコヤネノミコト(天児屋命)を経たものに変わっている可能性も、大いにあると言わねばならない。日本人は、性に対しておおらかな面があったのも、一つの伝統であり、直感でわかるなら、「あなたの子よ!!」と断言された際に誰も苦労せずに済む。
内在的に、男系が置き換わっていることを証明は出来ないし、するべきでもないが(いろいろ事情があってもわからないので、科学的な事実で過去を追求するのはおかしい)、系図の中の事実としてなら、藤原朝どころか、その藤原氏の男系が神武天皇を経たものに置き換わっているのをご存じないのではなかろうか。なぜなら、天皇家から養子を迎える事が珍しくなかったからだ。どうやら彼らは、自分たちの男系祖先のY染色体には、「直感的に見抜」くべき意味を感じなかったらしい。
直観に頼らずとも、男系で継続してきたのは事実で、女性が天皇になりづらいのも事実だ。しかし、見方を変えれば、女性でも天皇を務めることが出来、自由民主主義の元では男女は平等であり、既婚も未婚も個人の自由で、旧皇族の男系は20代以上も離れており、男系を強調すれば現天皇家の「進化の歴史」を否定することにもなる、という、数多くの問題が存在するのも事実だ。
このような天皇家を存続させられるかさえ危ぶまれる時に、大した歴史的な知識も関心もない身の程もわきまえず、たんなる明治時代のはったりで(必要性はあった。しかし、その永続が困難な点を無視した)、それだけでは血縁的に遠い遠い男系男子を天皇に就けねばならず、天皇家の存続に手かせ足かせをはめるだけのものと見なされれば、女性天皇も女系天皇も容認すべきであり、早速次は・・・、などと決まった話を覆そうとすることにもなりかねないではないか。
すぐに論破されるような底浅い理屈を、仰々しくいかめしい言葉で脅し文句に使用しても、表面知識程度ならすぐに集められる現在では通用せず、かえって変革を呼ぶことにもなりかねない。自重されるべきだろう。
ところで、なぜ女性天皇は未婚で、女院も未婚なのか?私は皇室の女性に婿を迎える習慣がなかったから、だと思うが、その婿取り不可の習慣の淵源は何であろう。アベちゃん(孝謙天皇)や女院は親の偏愛で婚期を逃がした・・・、そもそも未婚でも食べるに困らず不便でなかったので、「結婚して子供をつくるのが幸せ」などという固定観念がなかった・・・。だが、個人的には残念だが、それだけでは済まないだろう。
伊勢の斎王は未婚女性の皇族限定、どのようにつながっているかは不明ながら(邪馬台国が九州にあったのならあまり意味がないので、私は畿内説である)、邪馬台国の卑弥呼もその後継者のイヨちゃんもおそらく未婚女性、やはり、呪術と言うか祭祀面での制約を考えねばならないかもしれない。とすれば、男子を優先させるのは、祭祀面での文化的継承上やむを得ない、とは言えるかもしれない。より説得力のある、理由付け(理論武装)を期待したい。
