
私立の高校で社会科を教えているような人には、マルクス主義が流行った時代の人たちがたくさんいて、要するに革命によって平等な社会を実現しようという志を秘めている。私に言わせれば、マルクスは思想家ではなく古典的経済学者で、自分の思考過程をそのまま文章化してしまうドイツ流のスタイルで、原始共産制というものが存在したとの仮定から、それが人類にとって究極的な経済体制であるべき、という一つの理論を構築しているに過ぎないのだが・・・。
で、ぐちゃぐちゃと論理的な思考過程が自分にしかわからないように書かれているのを、親切な友人(エンゲルス)が少しばかり他人にも理解できそうな形にまとめてしまい(余計なことしやがって、丸めて捨てちゃえばよかったのに、と私は思っている)、さらに生真面目な日本人が、逐語訳したもの・・・、などまともな人間が理解できるわけないのだが、それを真面目な学生が寄り集まって解釈を始めて、生半可な理解をしただけで未知を明らかにした気分になって、手垢まみれの模範解答を知的ステータスのようにひけらかしていたものだが、もちろん、暇なだけである。
私はと言えば、ドイツ人どころか日本人のぐちゃぐちゃした歴史論文にすら辟易・・・、正直に言えば、日本中世史を専攻しながら、石母田正の『中世的世界の形成』ですら、何が名論文だ何言っているのかわからん、だったのである。第二次大戦でアメリカに敗れた後、急造する必要に迫られドイツ流直訳調で書いたのが、かえってその系統の知的な人たちに受けたのかもしれないが、私にしてみれば時間をかけてバカにもわかるように書いて欲しいわけで・・・。しかし、「『序説』のここの部分があーたらこーたら」、およそ専門とは無関係な議論を吹っ掛けられては剣呑である。
「僕たちは歴史学だからさ、マルクスよりマックスウェーバーが興味深いよね。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で資本主義の精神性をハンザ同盟のあり方に求めてその基底になる宗教性をプロテスタントの倫理として追求するわけだけど、戦国時代の堺などの港湾都市のあり方と日本の一向宗を想起させるものがあって・・・」
と、けむに巻くことにしていた。わかりっこないだろう?!、言っている本人が一番わかっていないのだから。しかし、マックスウェーバーの方がはるかに哲学的で理解不能なのは確かなので、にわかマルクス主義者の小僧や小娘など、マックスウェーバーの名前を聞いただけで避けてくれた。実に便利な護符ではあった。
で、よーするに何言ってるかわからん文章を書くというのは、独りよがりで頭が整理されていないだけで、こちらが想像で補う必要はない、などとは思わなかった真面目な人たちは、共産制の敵として資本主義を対置して、金持ちの資本家に基づく(と思う)政府を批判し、すべての人が平等に平和を享受する理想社会の実現を夢見るようになるのだが、普通は現実社会の中で、思想など考えてはいられない。思ってはいても行動する時間はないのである。ところが、たまたま特に私立の高校の社会科教師などになると、学校という閉鎖社会で、こう言っては何だが、世間知らずの吹き溜まりのようになって、長期休暇もあって思想面の活動をする時間も与えられることになる。
もちろん、学校の左派思想の先生など、個人的には平和な社会を夢見る良い人たちだ。私が講師のアルバイトをさせてもらった私立高校の社会科の先生たちも、程度の差こそあれほとんど「左派」で、中には「オフィス」と呼んでいる活動拠点で何やら左派系の活動を趣味にしている人もいれば、定年退職後は共産党から地方議員に立候補する予定といった人もいた。私以上に右派の同僚(大学の後輩)もいたが、別に思想闘争などすることもなく、仲良く仕事をさせていただいた。
教科会議でチクチクと「偏向教育と見なされるとまずいんじゃないですかぁ?」とか言う人がいれば、教育基本法にもあることゆえ(私でさえ、教師である以上は、左翼的な立場の主張も否定はせずに紹介するように心がけたぞ?)、抑制されもするのだが、ベテランの教科主任が、主導権を握って抑制が効かなければ、辺野古のようなことにもなりかねない。生徒と学校を教師個人の思想活動に巻き込んでしまう、と言うことにもなるだろう。
結局のところ、学校行事という場に、政治思想の活動を持ち込んでしまった公私混同が根源にあって、本来あってはならないが、なれ合いで放置していた結果、最悪の事態を引き起こしたものと思う。だれにも悪気がないので始末に悪いが、責任を負うのは個人の暴走を許した学校であり、反省すべきは周囲の同僚教師であり、教職を離れるべきは主導した者一人だと思う。
なお、何を勘違いしたのか、被害者本人の気持ちを遺族が代弁するのはおかしい、などとおかしなことを言っている者もいるようだ(記事)。しかし、被害者は未成年であり、社会に対してその気持ちを代弁するのは、保護者の責務とすら言える。もちろん、被害者が成年であっても、その遺志をどのように考え公表するかは個人の自由ではないか?
ご遺族としては、今回、学校内部の抑制を期待してまったく野放しだった思想上の偏向教育に対して、今さらながらの教育基本法を持ち出した文科省に賛意を示されているようだ(記事)。
「自校で行われている教育が、生徒の多面的、多角的な考察、公正な判断を妨げていないかについて、再確認してほしい」
取り乱して当然の親御さんに、このような良識のあるご意見を頂戴したことを、重く受け止め、有難く感じて、肝に銘じるべきだろう。耳が痛いので言わないでください、では情けなさすぎる。もちろん、個人の思想信条の自由、表現の自由は大切だが、学校や教師側に教育として生徒に押し付ける権利はなく、ズレた日教組などが何を言おうとフツーに違法だったのである。
抵触するようなことが公然と行われていた現実では、今回の文科省の対応は問題を呼ぶだろう。いろいろ波及し、行き過ぎたことにもなるかもしれない。ただ、個人的には「いいぞー!」「もっとやれー!!」で、多少「ざまーみろー!!!」だ。ことなかれに胡坐をかいていた不注意な人たちは、能書きを垂れずに反省する機会にしていただきたいものである。
で、タイコだ。
この子は普通の子だと思っていたが、やはり普通ではなかった。テーブルの上に陣取って、みんなが集う頭上の休憩場所には行かない、こんな文鳥は今までにいない。テーブルの上で何をしているかと言うと、手近なおとなたちの背中などをつついて回る。こんな行動はかつてないので、対面キッチンから様子をうかがっていると、つついて威嚇され負われるとひょいひょい逃げて、二度とクチバシを出さない。「やめなさい」とたしなめる程度の文鳥に対しては、気にせずに行動するようになり・・・、唯一小突かれるのを喜んだ変態?のコチャとは仲良しになって、いつもじゃれている。
コチャはオスだ。タイコはさえずる気配がない。となれば、ほとんど♀確定のはずだが、タイコの場合、幼少に対する態度が♂だ。小さい子は踏みつける。飛ぶようになっても踏みつけるが、それでもがんばる子とは仲良くしようとする。
・・・非常識な子の将来を見守りたい。
