
文鳥の飼育については小学生レベル、生き物の進化の意味も理解できずに野生にうんちくを述べ、穀物を主食とする鳥にお腹に悪いから軟らかいものを勧める滑稽さにさえ気づかない、そんな獣医になってはいけない。そのような獣医の元でご推奨どころか販売までしているペレットを有難く食べていれば、胃腸は甚だ弱いものになるだろう。
そして、彼ら飼育を知らない、いつもの文鳥の姿を知らない人たちは知る由もなかろうが、↑老いた子も死の寸前でも、殻をむいて食べたがるものなのである。ウチの場合は、アワ玉常設なのでそれの消費が増えるし、「夜会」の際は湯漬け餌も食べられるのだが、それでも殻をむいて食べることをやめるわけではない。
そもそも、昔は、ヒエならヒエだけを与えて威張っているような連中が多かったようだが、それでも文鳥は繁殖を続けることが出来た。つまり、そのような食事でも、エンリッチメント的には及第点だったわけで、それは、セキセイインコが野生の状態でイネ科の種子ばかり食べているのと同様と言える。そして、カナリアシードを好む原因は、大昔の繁殖家や今の一部の獣医のように、栄養価が高ければ好んで食べるわけではなく、殻むきが好きだから、と、殻をむいたカナリアシードで幼稚園児並みの観察をすればわかってしまう。
したがって、殻をむく行為は文鳥のエンリッチメントを保つにあたって重要な意味を持つものと推定され、それが出来ないペレット食は、百万歩ほど譲って栄養面で飼い主が飼育において楽になるとしても(青菜とボレー粉とあわ玉を副食にするだけのことがそれほど難しいとは思えない)、エンリッチメントを大きく損なってしまう危険性大としなければならない。
生命科学は、生命とは己のDNAを残す繁殖を目的にして存在すると見なしており、実際、繁殖を終えれば自らの生命を終える生き物の方が多いかと思う。若いうちに元気で筋肉痛などに悩まされることがないのは、繁殖に適した状態にあるからであり、また、それがために、エンリッチメントを念頭にした現在の飼育は、繁殖を目的とする点で野生、むしろ自然の摂理に基いた工夫と言え、それは長生きするために栄養のことばかり考えていては見えない視点である。健康で長生きするためなら、繁殖を犠牲とするなどとする考え方自体が、異端なのである。
さて、↑さっちゃんもたくさんの卵を産み、たくさんのヒナを育ててくれた。そして、飛べなくなり筋肉もこわばっている現在も殻をむいて食べて頑張っている。
私は、「太く」繁殖をした後の余生は、やわらかいものを食べてのんびりした方が良いのではないか、とも思っていたのだが、それを実行すれば、即、死ぬか、少なくとも好きなものも食べられないようにしてしまうだけと信じられるようになった。なぜなら、死の直前まで硬いものを食べたがる生き物だと理解したからであり、やわらかいものを食べても消化できなくなるのが、四半世紀の体験でわかったからである。
野生に学んでシード食にしなさい。硬いものを食べるために、殻をむき、そのうで水分を持たせて軟らかくして胃に送り、消化液を加え、胃に堆積した鉱物の力も借りてもみにもんで細かくしてから、腸に送って栄養を吸収する。これが自然、進化のたまもの、野生に学ぶとはそのような自然への適応を知ることでもある。種子が固いの軟らかいのなど何の問題にもならない。何の問題にもならないように、硬いものが消化できるようになっているからである。もし、人工的に軟らかいものばかり与えたらどうだろう、消化吸収は良いかもしれないが、その前のプロセスは無になってしまう。クチバシもそのうも胃(砂嚢)も必要なくなり、使われなくなった器官は働きを弱めるのは確実で硬いものを消化できなくなってしまう可能性が高い。さらに、使われなくなった器官は委縮して、どのような悪影響が起きるか測りがたい。一番わかりやすいのは、おそらくクチバシの変形であろう。
こういったところであろうか?これに反論できるのだろうか?私だったら、その論証は無理だな。


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