江戸時代の動物はかわいくない

 突然ながら、江戸時代の動物の絵を見たことがおありだろうか?見たことがある人は、なぜ、うさぎその他の草食獣でさえも、白眼が血走って獰猛なケダモノとして表現されているのに驚かれたのではなかろうか。文鳥にしても、かわいくない。黒目の中にお星さまキラキラ!といった表現がないので、佐竹曙山のような写実的な表現(佐竹だけに竹が巨木になってるけどな!)でもかわいくない。
 では、それは嘘なのか?嘘とも言えない。人を襲ったり断末魔だったり非日常ではそういった獰猛な表情があり得るのに、今現在の人間はそれを知らないだけとも言えるのである。そもそも、野生動物とは獰猛で当然なのだ。
 で、なぜそのようなことを考えたのかと言えば、罠が足にはさまった母熊を「駆除」している様子をTBSが垂れ流しているのを見て、ショックだったからである(千葉の動物園のバカがベニコンゴウインコの子どもに麻酔銃を打ち込んで射落とした映像がフラッシュバックした)。「駆除」をやむなしと思うなら、憐憫しか感じられないような画像を無責任に流すな!野生は獰猛と見なす江戸時代の人間ではないのだぞ!!と思ったのである。殺害シーンを映したところで見せしめにもならないだろう?何のつもりで垂れ流すのか考えるのが良識だ(人道上の問題が熊に及ぶなどと訴えるくらいに心優しい人も多いのだぞ?2匹の子連れの母熊が前日1匹を駆除され、足にイノシシ罠をぶら下げつつ柿の木に登っているところを麻酔銃でもうろうとされ、ずり落ち脚の罠がはさまり宙づりになったところを引きずり降ろされるという「駆除」シーンに、良い画が撮れたね、とほめてくれると思ったのか?たわけ者が!)。

 熊については、私は気候変動で山の植生に変化があって、熊の生態が変わってきているのではないかと思ったのだが、この間、百家争鳴で意見を見聞きして、より単純な理解に傾いている。つまり、1990年代以前に徹底的に駆除して激減したお・か・げで、近年まで人の生活圏に入らずに過ごせていたが、駆除が低減して個体数が年々数が増え、人里に追い出される熊が増えてしまっていたところ、ドングリなどの不作が重なったのだ、といった理解だ。
 ・・・結局、間引かねばならず、「駆除」しなければならず、かわいそうな親子熊は山には返せない。絶滅の危機まで追い詰めねばならず、・・・だが、そもそも絶滅したところで大したことはない。へ?ナチュラリストは捕食動物が絶滅したら生態系は崩れると言っている?誤解されては困るが、私は山に熊はいて欲しいし、山奥の熊が人を襲う可能性は低いと認識している。しかし、熊が絶滅したことで九州地方の野山の生態系がどうなったと言うのだろう?ニホンオオカミは明治期に絶滅したが(人間が狩りつくしたとされるが、私は伝染病が主因だと思っている。彼らは集団行動をする生き物なので、伝染病は瞬く間に集団に広がって族滅させてしまう)、それから100年以上、どうなったと言うのだろう?せっせと人が鹿を狩っているうちは、何の不都合もなかったではないか?いないと寂しいが、いなければいないで、捕食動物がいない生態系が形成されるだけだ。嘘や空想でものを言っても、一般の納得は得られまい。
 山犬信仰があったり、熊を神聖視する伝統があったりするのに、その生き物が絶滅していたのでは寂しいではないか。それだけのことであり、それが大切なことだと思うのである。

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