
なぜ、尾羽が生えないのか、これまた謎現象だ。つまり、尾羽の根元がのこっているのだと思うが、尾羽はそもそも抜けやすい構造になっていて、根元は残らないはずだ。例えばトカゲは外敵に襲われ尾をつかまれると、自分で尻尾を切って逃げる。一方、文鳥はつかまると、自動的に尾羽が抜けて脱出する。恐怖による緊張で抜けやすくなり、力が加わると抜けるようになるらしい。つまり、根元ごと抜ける。
・・・となると、ポナは・・・、これまで恐怖を感じずのほほーんと生きているわけだ。結構なことである。
TOKIOが解散した?尻切れトンボで会見も無しで、山口くんの時と違っていて許せない?・・・それは、友人が言える内容ではないのだろう。言ったら友情が終わるので、社会的な批判を甘受することにしたのだと思う。
例えば、友人がおかしな宗教にはまったり、おかしな異性にのめり込んだりした際に、多少忠告はするかもしれないが、強硬に反対などするものではない。友人なら、強硬に反対しても変わらないことくらいわかっているはずで、縁を切る覚悟が無ければ、少し距離を置いて黙って見ているしかない。
私は、「男のくせに群れるんじゃねぇ」、「群れる奴にろくなのはいねえ」といった考え方なので、何とか軍団など全否定、TOKIOにしても「熱い漢たち」とか鬱陶しい、としか思っていなかったが、今回の件にしても、山口くんの時にしても、筋は通っていると思う。友人として、山口くんには叱咤、国分くんにはあえて等閑を選択したのだろう。
それに比べれば、友人づらで自分とは無関係な性犯罪にちょっかいを出す、古市さんや橋下さんのずれた漢気(おとこぎ)には、驚くばかりだ。中居くんを友人だと思うなら、黙っていてやった方がよほどましとは思わないのだろうか。ぺらぺらぺらぺら、言えば言うほど信頼を失う。
ぺらぺらぺらぺら、被害者側の友人女性も言っている?それはそういうものだ、我々は、いかに男女同権で平等であっても、性差は容易には乗り越えがたい。数万年に及ぶ狩猟採集生活で身に付いた習慣は身体的な性差による役割分担の固定化を伴い、それに適した生理反応は避けがたいのだ。
例えば、忙しい職場でキャリアウーマンとして活躍していた女性が、妊娠出産で育休に入ったとする。「半年後には復職するわ!」と本人は考えていたかもしれないが、熱を出した子どもの世話にかかりっきりだったりしたら、「私が近くにいないといけない!」になって当然だ。なぜなら、女性ホルモンは「子どもを守れ!子どもを育てろ!!」と命じており、多くはそれに従ってくれないと人類は滅亡するほど、根源的なものだからである。もちろん、職場の上司や同僚と交わした早期復職の約束は、人類の存亡の前では意味をなさない。もし、1人目の出産育児は短期間で復職していたとしても、それは初の体験からの緊張で母性の発言が抑制されただけかも知れず、2人目では違った感覚になっても、一つも不思議はない。つまり、母性に翻弄されて当然なので、約束を守らないのがおかしいのではなく、約束する方がおかしい(約束が守られると思っているのはたんに無知)。
子どもを守るには、周囲とは平和的友好的な状態を保つべきで、理屈を抜きにしたコミュニケーションが必須、となれば、ぺらぺらぺらぺらどうでも良い理屈もあやしい世間話も重要なものとなる。つまり、ぺらぺらぺらぺら友人の話をしたところで、たいした悪意など何もなく、当たり前と言う他ない。さらに、親しいものを守るという母性からすれば、親友の苦境を助けようとぺらぺらぺらぺら話すのは、必然とすら言えよう。男のおしゃべりとは本質的に違うのである。
ごらんなさい。おかげで、中居くんの話は、犯行後の当事者間の具体的なやりとりに及ぶことになった。橋下徹さんや古市・・・失念さんが、友人のような立場で中居くん側の視点からぺらぺらぺらぺらした反作用と言えよう。「私は普通の人間で、貞操観念も真面目なタイプで そういうことがあると、正直気持ちがついていけず、食事に行けるメンタルではないです(芸能記事)」、こんな返事をショートメールさせる50男うぜー、うぜー!うぜー!!
「犬にかまれたと思って、忘れちゃいなさい」と、古今東西言われているのだが、このタイプは人生プランをしっかり考えてキチキチッとこなしていきたいのに、それを邪魔されてできなくなったショックが大きかったのではなかろうか。橋下さんなどは、「性暴力」といった内容ではないなどと無責任なおばちゃんの世間話並みの気安さでテレビで吹聴していたようだが、20代の女の子に人生をぶっ壊されたと思われるような行為をしたら、それは不当な暴力以外の何ものでもないだろう。行為そのものより、自分の思い通りに出来ない状態になったのが苦しく、徐々に自分を追い詰めることになっている最中、加害者の親みたいな年のヤンキーオヤジが、しつっこくしつこくショートメールなどしてきたら、追い打ちをかけられているようにしか思うまい。犬に噛まれたことよりも、犬に噛まれて手が動かなくなったことに混乱しているくらい推量できないものかと、救いがたい鈍感さにため息が出てしまう。
鈍感な加害者や雇用主に思いきりお灸を据えてやった。おかげで、コンプライアンスやガバナンスなど、内容もわかっていないで使っていた企業には、己を見直す機会にもなった。それまで描いてきた人生のプランは放棄しなければならなくなったが、社会的な影響の大きな立派な仕事をやり遂げたと言える。
それでも、わからない奴はわからないのだ。わからせる努力をしてやることもない。新しいプランの実現に向かって、そちらの方だけを見て頑張ってもらいたいものである。
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