
ノルウェーのモンスターの快進撃も、我がイングランドを突き崩せなかったな、ハッハッハァ~!
もちろん、イングランドという一地域にシンパシーを感じる要素はない。サッカーイングランド代表をW杯では応援することになっているに過ぎない。なぜなら、昔は日本代表は地域予選を突破できなかったので、W杯ではどこかよその国を応援しなければならず、私の場合、幼少の頃はベッケンバウアーの西ドイツであり、長じてリネカーが好きなのでイングランドびいきに変わった。ゲーリー・リネカーさん、日本にも来て名古屋で頑張ってくれた日本サッカー界の恩人の一人だが、何がすごいかと言えば、身体能力も技術も大したことは無いのに、なぜかそこにいて、なぜかその一瞬だけ機敏で、点を取ってしまうという理不尽さ、であったかと思う。そういった、訳のわからないことを、超フェアプレーの英国紳士がしてのけるなんて!なのである。
だが、最近優勝したことがないので(リネカーもガスコインもベッカムも優勝していないのにケインが目立つのも何だかな。次回ベリンガムのイングランドで優勝という展開を妄想)、予想としては、スペインで良いのでは、と思っている。
で、「ぱろ」と「クロダ」の組み合わせは有りや無しや、とか、文鳥のペアリングを考えていると、ウチは男子が多すぎるんだよ!となる。そもそも、鳥の場合、オスになるかメスになるかは卵子側の性染色体の問題で、ようするに、メスになる卵とオスになる卵が決まっている。となれば、オスが多くなることはまずないはずだが、実際にはオスが2倍残っているのだ。
オス同士で仲良く暮らせば良いのだ。二丁目界隈で構わん。とすると、幼い頃から一緒の兄弟を引き離しがたく、ペアリングは難しくなり、無理をしても、同性同士の場合はうまく行かない可能性が高い。
・・・で、『皇室典範』の話に持ち込むのは、多少どうかと思うのだが、私の頭の中ではつながってしまうのだから仕方がない。
皇室典範の改正で、選択肢が増えるのは良いことだ。「万世一系」「男系」が、明治の一時期に必要とされただけの特異な考え方で、実際は、婿入り婚や皇女の降嫁の形で、近縁を優先させている事実が周知されてきたのも結構なことだ。この間、『明治ノスタルジスト』の皆さんのご意見を多く掲載していた産経新聞さえ(反対意見の掲載はあったのか?昔の保守の論客はもう少し婉曲で面白かったと思うのだが、最近は、明治維新時代の国学の先生の講義を聞かされる気分になる)、昨日の『産経抄』は、男系のみを根拠に出来ないことを暗に認めている。
「旧11宮家の今の天皇との共通の祖先は、約600年前の室町時代までさかのぼる」。国会では10日、共産党の塩川鉄也衆院議員が「遠い血筋」だと主張していた。養子案反対派が執拗(しつよう)に繰り返す議論だが、明治天皇の皇女4人は4つの旧宮家に降嫁している。上皇陛下の姉にあたる昭和天皇の第一皇女もそうである。
そのような事実を無視して、もしくは省いて、男系の正当性を法的に主張するので、共産党の指摘の方がまともに聞こえてしまうのである。いわば女系による親類としての一体感を否定するのは、男系に絶対的な価値を見出そうとする側の問題ではないか?男系男子なら何でも良い、などといった態度、男系の系図しか見ない態度が、『敵』に付け入る隙を与えていると気づかねばなるまい。
「女性・女系天皇派が今さら騒ぐのは何なのか」と、『産経抄』は最後に問いかけているのだが、それは当然、男女平等の長子相続、という大義名分のもと、本人の意思を無視して女性皇族を天皇に推戴し、それをいわば飼い殺し状態にして、静かに天皇制の幕を下ろす意図があってのことだ。そのように考えて、男系男子という足枷をはずして、天皇家が存続し、男女を問わず、未婚であっても活躍できるように、法整備をするべきであり、今回の改正はその一歩となってもらいたい。
なお、『産経抄』は「ヒゲの殿下」で知られた故寛仁親王のお言葉を紹介しているが(2007年刊行の本)、今、お考えをお聞きしたいのは、その娘さんお二方、彬子女王殿下と瑶子女王殿下であって、現状を知らない故人の言葉ではない。お嬢様方も、ともに未婚で40代、皇族としての責務を果たしつつ、それぞれのキャリアを磨く人生を堂々と歩まれている。
「意外とご存じないのは、われわれ現職の皇族と旧宮家の方々はすごく近しく付き合ってきたことです」。上皇陛下のいとこである故・寬仁親王殿下はそう語られていた。旧宮家の皇籍復帰についても、「我々(われわれ)には全く違和感がありません」(明成社『皇室と日本人 寬仁親王殿下 お伺い申し上げます』)
当時20代の娘2人の父親の発言の真意を、お話を伺った賢い方々はどの程度忖度したであろうか?単純に、旧宮家の復帰を容認する意味合いだけで話していたとは、私には思えない。その娘たちは、自立した立派な人生を歩んでいるが、では、未婚の女性皇族の家の継承はどうなるのか?最近、三笠宮家は分家したり別居をしたり、母子の相克もうわさされているが、その三笠宮家の母こそ、一部に外戚政治をもくろんでいるとされる元首相の麻生太郎さんの妹さんだ。
皇族といえど、人の子であり、人の親である。しっかりそのお立場を考えて、あえて忖度しつつ遠慮すべきで、遠慮してこそ、その人格を尊重し今現在から将来にわたって活躍していただけるように環境を整えねばなるまい。
さて、既婚者がいる状態で天皇になった女性はいない。皇族の女性は、降嫁の形でしか結婚は出来なかった。そして、伊勢の斎王は皇族の未婚者が選ばれ、莫大な所領を譲られた「治天の君」の愛娘は、未婚のまま女院として皇室に残る。
なぜ未婚である必要があるのか?しばらく考えてみたのだが、やはり、天皇も斎王も神様と結婚するイメージになるからであろうか。と言う考え方になっている。遡って3世紀、邪馬台国の卑弥呼は女性で神に仕える巫女で未婚、国政は弟(名無しさん)が担っていたとされ、このような祭礼を女性が担い、政治を男性が担う形態を「ヒメ・ヒコ制」などと呼ばれている。神に仕える以上は未婚で子供を残さないので、弟の方の子孫が王族となっていくわけで、天皇家が卑弥呼の弟に直接つながるかは定かでないが、「ヒメ・ヒコ制」を源流にしているようだ。何しろ神話でも、原初は姉アマテラスオオミカミ、弟スサノオノミコトで、姉は天上、弟は地上の支配を担っているのである。
天皇家は、このヒメ(女性)が受け持った祭祀面を吸収した王権と見なせば、女性天皇はむしろ自然だが、未婚という前提が必要になり、直系の子孫は残せないことになってしまう。ただ、天皇在位中に未婚であれば良いので、未亡人ですでに子供がいても構わない、と言う解釈も有り得、実際、推古天皇と持統天皇は子持ちの未亡人だ。出来の良い甥(死後、聖徳太子と尊称される厩戸皇子)がいても譲位などしないし、自分の姉が生んだ出来の良い子(大津皇子)は謀反の罪を着せて死に至らしめてもいる。
してみると、未婚の女性は皇位継承権を持つのが、歴史的に見て妥当だ。現在は、斎王すら未婚を条件とはしないので、天皇も未婚である必要はない、とするなら、将来的に(今すぐにではない。次と次の次は男系継承と決まっていて、その前提で約20年の時が刻まれている、ちゃぶ台は返せない。文句があるなら20年ほど前に言うべきであった)長子相続になったところで、伝統に背くことにはならないと思う。
はてさて、日本の歴史伝統においては、残念ながら、男系に対するこだわりはルーズで、貴族社会は『源氏物語』を読むだけでも明らかなように、天皇家と藤原氏の血縁は男女の区別なく密接不可分であり、極端に言えば誰の子かわからない事態もあり得た(そもそも平安時代は婿入り婚形態なので、男の方は何でも良いと言える)。お父ちゃんの愛人に夜這いした、ならまだ良い方で、夜這いする相手を間違えた!とか、同じ女性に通う複数の男がいる!など当たり前で、それが皇子と藤原某であることなど当然の当たり前の普通であり、生まれた子が神武天皇の男系なのか天児屋命(藤原氏の先祖とされる神様)の男系なのか、など誰も気にしなかったのである。
一時、遺伝学にはとことん疎いらしい文系の『明治ノスタルジスト』の皆さんが科学的だと思い込んだ「神武天皇のY染色体」の継承こそ、男系男子による万世一系の正当性を示すもの、などとする妄想は、文系領域の『源氏物語』を読んだだけでも危険思想であることがわかる。男系などまったく気にしていない世界観がそこに展開されているのである。神武天皇以来の男系の継続など、どうして信じられようか?
しかし、気にする方がおかしい。まず、Y染色体は46本ある染色体の1つに過ぎない。X染色体と対になって性染色体として存在するが、遺伝においては、その他22対44本の常染色体の変化が問題とされる。なぜなら、何らかの身体的な形質の変化は常染色体の遺伝プロセスで生じ、一部の子孫に受け継がれていくからである。代ごとに確率的には半減していき、一定の遺伝形質は引き継ぐ子もいれば、そうでない子もいるという形で、子々孫々に影響を及ぼすことになる。
では、直系血脈が途絶え傍系に遷移すればどうなるだろう?親から子、直系で紡がれてきた遺伝形質の継承が無に帰することになる。したがって、傍系でもより近縁の者が求められ、その際は娘の子(女系)でも息子の子(男系)でも構わない。何しろ、Y染色体は46分の1に過ぎず、ほとんど変化せず、神武天皇どころか天孫ニニギノミコトも『聖書』における最初の男アダムもクロマニヨン人段階のご先祖も、あらゆる男はおそらく同じY染色体を持っているので、それを何か変化して特別なものと勝手に妄想しても意味がない(エビデンスは?と言われたらおしまいだ)。
変わらないのが意味を持つのは伝統文化なら、変わらなければ意味をなさないのが遺伝だ。もし変わらないで良いなら減数分裂し両親のDNAを半分ずつ継承するなどと言う面倒なプロセス(あたかも変異を望むような)、必要があるだろうか?アメーバのごとく分裂して増えれば済むではないか?
かつて、2016年だが、平成上皇陛下がご退位のご希望を述べられた際、『明治ノスタルジスト』の何やら大した経歴の先生が、紙に書いた天皇でも良い、何もしなくて良いので退位するな、と新聞に書いていた。人格否定である。天皇陛下は特に権力を持つわけではない象徴としての存在なので、認知機能が衰えようと、寝たきりになろうと、死ぬまで天皇でいろ、と言う主旨だが、その理由は、『皇室典範』に退位規定がなかったから、だけだ。天皇は退位して上皇になるのが歴史上必然であっても無視する。明治時代にその時代の必要性で作られた法律を墨守し、自由民主主義における個々人の権利も尊重せず、伝統文化など一切顧慮しない、そのような保守があるだろうか?少なくとも、国民主権の下で自由民主主義体制にある日本国において、「ボクは明治時代が好きだから、その時に決めたことを守らないといけないんだからね!」などと言ったところで、過半数の支持など得られないだろう。共産党でさえ、「天皇制粉砕!」の本音をそのまま主張しないのだから、少しわきまえた主張をしてもらいたいものである。
