長生きは結果であって目的ではない

早く迎えに来て欲しいとふてくされてる

 昔から、「太く、なるべく長く」を飼育の指標にしている。人生の指標にはしていない。人としては、何となくだらだら生きてなるべく他人の世話にならないうちに何となく死にたい。
 文鳥の場合、だらだら生きようなどという寝ぼけたことは言っていられず、生命の宿命に従って若い頃はギラギラキラッキラ生きる。活発に動き回り、恋愛をして、あるいは繁殖をして、5歳になれば繁殖が出来なくなってきて、6歳には飛翔能力の衰えが見えて、7歳にははっきりと老化が現れ・・・、冗長にそして穏やかに老後を過ごしてくれるかもしれないし、急速に衰えて死んでしまうかもしれない。
 文鳥の長生きなどというのは、6、7歳からの老化の一現象で、そういう子もいればそうでない子もいるだけの話で、特に目指すべきものとは思えない。何しろ、たくさんの文鳥が飛びまわる老鳥には過酷な我が家では、10歳まで生きた子は1羽しかいない。長生きさせたければ、ヒデパターンか・・・。

 ヒデは、2017年2月3日、節分の日に卸売会社から送られてきたヒナの1羽だ。つまり、9歳だ。チビでハゲで、「はげネズミ」と信長に言われている秀吉のようなのでヒデと名付けられ・・・、売れ残り、アラシに先立たれていたヒノの後妻になったが先立たれ、自主帰宅できず毎晩逃げ惑うので、「宿泊部屋」に移してまだ若かったシナモンオスとのんびりケージ生活を送るようになった。
『文鳥団地』の「夜会」に参加するには体力が必要で、また帰る際は、指に乗っての送迎か自主帰宅かおとなしく捕獲される習慣を身につけなければならない。そうしないと、人に追いかけられて過度な運動を強いられてしまうのである。自分の家に帰るだけのことだが、抱卵育雛をしない場合はヒデのようになってしまうことがあり、その場合、団地生活不適応と言える。
 以来、ヒデはケージから出ずに暮らしている。ケージを開けておいても出てこない。結果、水浴びしてアワ玉を欠かさず食べて、長生きすることになったようだ。白内障で目があまり見えなくなっても飛べなくなっても、さほどストレスにはならずに済むのだろう。もちろん、そのような生活が長ければ幸せなのかどうかはわからない。一方で、団地のボクジュ、2019年2月5日生まれなので7歳、年相応だが最近になって急速に運動能力が衰えあまり飛べなくなった。おとといも画像のようにイスの下部分にとまって待っている。拾い上げてもらいたいのである。のんびりとは過ごせず、ヒデほどの余命があるとは思えない。

 いろいろな老いを知らなければ、長生きさせれば良いと単純に思い、長生きさせる飼育方法を探すが、長生きだけを目的にするなら、若い頃は繁殖するなり目いっぱい体を使って体を鍛えて、それが終わる頃からのんびりまったり過ごさせてやるのが一番だろう。例えば、昔のお坊さんは、若い頃荒行で体をいじめ、老いては粗食で念仏三昧になるためか、やたらと長生きする人が多い。
 逆に始めからやわらかなものを食べストレスのない毎日を続けていると・・・、長生きは難しいのではなかろうか。
 25年以上前から「ペレットにすれば長生きできる」と勧められてペレットを与えた飼い主は多いはずだが、なぜか、25年もペレットを勧めるどころか売ってもいる人たちは、実例を示して、ご愛用者はこんなに長生きしましたよ、と、宣伝してくれない。平均寿命をはるかに超えるセキセイインコの飼い主が、年相応に衰えてきて動物病院に行き、ケージを分けて個別に飼った方が良いとか、ペレットにした方が良いとか、現状の変更をアドバイスされて悩んでいるような例ばかりがネット上で散見されるのは、お笑いの域だろう。
 もちろん、すでに長寿である以上は、客観的に見て問題がありそうでもその日常を変えないのが、飼育上の正解だと思う。日常を変えれば重大なストレスを与えて、寿命を縮める結果にしかならないことも理解しないで、すでに十分に長生きしている相手に、今まで以上の長生きの方法を押し付けるような余計な差し出口をしたいなら、100歳を超えて元気な人に、「その習慣はやめてこうした方がもっと生きられますよ!」と言ってもらいたいものだ。

 長生きしていれば、何であれ、その子には正解だったのである。しかし、長生きしなくても不正解とは言えない。例えば、ボクジュは多くの子孫を残し十分に生きている。子孫を残さず夭折してもしっかり記憶を残してくれたし、それをどう生かすかは飼い主次第で、その子に責任などない。
 長生きだけを追い求めるより、しっかりその子と付き合ってほしいものである。

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