経験に甘えれば則ちあやうし

中央がコチャ

 「学びて思わざれば則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」は、『論語』の有名な一節だ。私は、これを文鳥の飼育で常々身にしみて感じている(※嘘)。読んだり聞いたりした話だけでは文鳥との付き合い方の全体は見えない。自分自身で飼育して見て感じたことでもその意味を他の意見と比較するなど慎重に解釈を考えないと間違える。と思っているので、そうならないように気を付けている。
 したがって、気を付けていない人の意見にはかなり敏感で、今現在なら、飼育経験もないくせにペラペラと知識をひけらかす獣医さんなどは「則ち罔し」と思っているし、ろくな科学知識もなく比較検討も出来ないくせに専門家ぶっていた昔の繁殖家など「則ち殆し」の典型と断じてはばからない。
 ・・・部屋を暗くして捕獲しようとしたら、逃げ回ったネヅが足元に着地して踏みそうになったのは、実に危うかった。サンダルの底に文鳥の形を感じて止まれる反射神経に自信はないので、この「暗いと危うい」に気を付けないと、と考えるのは日常の一コマだが、それは良いとして・・・。

 東出昌大さんだな。俳優にしてハンターで、女房が妊娠中に若い娘と不倫をしたとかで、奥様の回し蹴りなら甘んじて受けるべきだが、なぜかしゃしゃり出てきた「世間」に袋叩きになってしまった御仁だ。個人的には俳優としては評価していなかったが、世捨て人同然で山でハンターをしていると仄聞した時には感心した。どうせ山奥に籠るなら、念仏を唱えるより爆増したというシカなどを狩った方が、世のため人のためには相違ないのである。
 その見上げた御仁が、昨今の熊問題について発言し、物議をかもしている。東出さんの本音、熊に対する考え方は、当人がお書きになった文章を読んだ方が正確に理解できるはずだが(本人のブログを引用した記事「クマを撃った!」駆除する猟師の本音)、物議をかもしているのは熊が市街地にまで出現する以前、熊被害が増えてきた頃に、山で熊を見かけることはなく、熊被害の報道は視聴率が取れるのでマスメディアが誇大に吹聴しているだけ、といった趣旨の発信をしたことに拠っているようだ。
 昔の言葉尻をとらえて非難などしても何の役にも立たない。むしろ、東出さんが「現場」にいるものの一人としての経験に基づく実感として、山奥に熊が少ない、としていたことに学ぶべきであった。つまり、どんぐりころころを食べて平和に生活するオスグマちゃん(「山親爺」)は、食べるために縄張りを広げて、より弱い個体を山から追い出しており、あぶれたオス個体や母子熊が山里へと下ってしまい、山里の熊が過密で飢えた状態になっているところで、秋の実りが少なく、飢餓状態の「難民熊」が発狂状態になってしまった、と解釈できるかと思う。
 東出さんは、自分の経験だけを語れば良かったのだが、それはなぜかと解釈する際に、マスメディアによる恣意によるという、一般的には受け入れかねる陰謀論を差し挟んでしまったのが失敗と言えようか。山の周縁部と山奥を区別した方が良かったかもしれず、経験と解釈は別にしないと、「則ち殆し」にもなるのではないかと思う(お気を付けください)。
 なお、山には熊は少なくて、里に近づくほど多い、とベテラン猟師が証言している記事を以前に読んでいるのと、オスグマの縄張りはドングリなどの凶作年に拡大する研究データを目にしたことがあったので(ついでにツキノワグマのオスが子熊を襲った記録も見ていたので)、「山親爺」縄張り拡大が要因と、私は確信している。解釈としては、何らかの陰謀論よりはるかに論理的だろう。

 このように、経験を語る際は、その解釈が問題になってしまう。解釈には客観的な知識と、それを取捨選択できる能力が必要になってくるが、普通に生きている限り客観的な解釈など必要ないので、せっかくの経験が台無しになることにもなる。簡単に言えば、主観と客観は違い、客観的評価を経ない主観は人に語らない方が良い、となる。

 さて、アカ&ガチャの4きょうだいを引きついだ。1羽白羽が多いのがコチャと見ていたが、間違ったかなぁ、と思っていたが、見誤りはなかった。翼の羽が半分白い子が、末子だけにもっとも未熟であった。
 クチバシはピンクがちで他は濃い目の桜たち・・・、偽装ごま塩なのか・・・、いろいろと経験を積ませてもらおうではないか。

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