ネチネチ書いてきたので、しめくくりたい。
以前から、専門の医療技術で信頼を得ていながら、なぜ専門外の「飼育指導」で信頼を失墜しようとするのか、不可思議で仕方がない。畑違いのことに深入りし、密室を良いことに無知やら非常識をさらけ出し、自分の顔に泥を塗るようなことは、やめて頂きたいものである。
獣医さんによる飼育を非常識なものにする「指導」の問題性については、たびたび指摘しており、栄養学的な話としても、コンパニオンバードの6号(2006年)と12号(2009年)の内容について指摘したことがあった(問題・その後・掲示板2006年12月12日・ブログ2009年12月6日)。ざっと読み返したところ、今でも特に変更する必要はないと思う。この際、「青菜ダメでビタミン剤にレタスぅ!」という衝撃の密室発言も、まだ続いているのか知らないが(もう買う気がない)、こういった雑誌にでも公にして頂いて、我々無知な飼い主をご啓蒙いただきたいものである。
なお、ゴイトロゲンの「ゴ」が「コ」であったり、「ト」が「ド」であったり、ところどころ間違っていたので、気づいたところは訂正した。言い訳になるが、まるで覚える気がないので、キーボードを叩くたびに、どこが濁音なのか忘れてしまうらしい。
前駆体(と呼ぶのかもよく知らない)にしろゴイトロゲンにせよ、含むか含まないかではなく、含む量の問題で、含有量が適正なら薬となるくらいに考えておいて、生活者レベルでは間違いはないはずである。もちろん、少なければ無害、無害だから食用になってきたし、今も食用になっている、だけだ。この生活者感覚、つまりは一般常識が間違っているなら、当然エビデンスを添えてご指摘いただきたいものである。
さて、話は変わるが、先日別件で「患畜」という言葉を用いる飼い主からメールを頂いて、ずいぶん驚いてしまった。私は、これは死語、もしくはペット動物には使用しない言葉だと思っている。ついでなので、指摘しておきたい。
その善し悪しは別にして、現在家庭内のペットは、人間家族同然の扱いを受けているのが現実であり、何らかの経済的目的のために飼われた家畜ではない。家族同然の扱いをするからこそ、病気となれば動物病院にも行く。そうしたペット動物を家族並みに扱う飼い主が治療費を支払うことで、動物病院という存在は成立していると言って良いはずである。つまり、動物病院の存在は、ペット動物を人間並みに扱うことで初めて成立している。従って、動物病院に飼い主に連れられてやって来るペット動物は、人間外の畜生の「畜」ではなく、人間並みに「者」として扱うのが当然である。
「患畜」などという言葉は、畜産業で飼養される畜産動物に対してのもので、街中の動物病院の獣医や、ましてや飼い主が用いるべきではあるまい。専門用語と誤解して、使用しないでいただきたいと思う。患者で良いと言うよりそちらが正解であろう。
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