悪そうな顔をするノッチ
そう言えば、最近動物病院に行っていないことに、ふと気がついた。行こうかなと思ったことはこの間何度もあったが、連れて行くには重篤過ぎたり、通院して闘病を強いたところで、たいした相違は無いような『気がした(している)』ので、結果ご無沙汰になったのだ。
結局、私の場合は、明らかで手に負えないケガであったり、まだ若く治ると『信じられる』ケース以外は、通院しないことになっているのだろう。つまり、幸か不幸か、そういったケースがなかった。幸か不幸かわからないし、お世話になっている信頼する獣医さんの様子もうかがいたいところだが、やはり通院しない期間は長ければ長いほど良いと思っている。
動物病院については、他人の話を聞く機会が、これも幸か不幸かたくさんあって、いろいろと考えさせられる。
言えることは、宗教と同じになる人が少なくない点だ。ほとんど無知で、たまたまであった教祖なり獣医なりを、ほとんど無批判に信用して、そうなると周囲の意見など耳を貸さなくなるのだ。それで、たまたまその教祖が高潔な人であったり、獣医が名医でなくても自分の力量をわきまえた人なら、問題ないのだが、たまたま邪まな精神構造を有する教祖であったり、鳥の治療など出来ないのに知ったかぶりするような獣医であったら、これは由々しき事態になる。
たまたまの出会いを大切にするのも結構だが、どうしても依存したい場合、一歩さがって、他と比較してからにして欲しいものだと願っている。比較出来るくらいの知識も無い状態で、一体何を信じ切れるのか、信じきるのは軽率だと私は思っている。
世の中は、残念ながら善意だけで動いてはいないので、個人個人で自覚して、自分の身も文鳥の身も守ってもらいたいものだ。
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