『坂の上』読了と初水浴び

文鳥の初水浴び(ニチィ)
豪快に初水浴びするニチィ

 司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』を読了した。おもしろかった。
 しかし、当然史実ではない。司馬さんの歴史へのアプローチは、あくまでも小説家としてのもので、学問的では有り得ない。学問的ではなく、一般的な感覚を持つ自分自身の歴史解釈を行うべく努力され、また、同様に一般人に読ませるための便宜としての意味もあり、善悪の2元論的になっている。つまり、愚劣な人と司馬さんが解釈した人物に対しては、どこまでも否定する方向性で、資史料を扱ってしまい、その自覚も感じられない。資史料とし資史料の間隙、小説や劇作的には登場人物のセリフは、作者が創作しなければならず、資史料の解釈が異なれば、まったく別なセリフでその間隙を埋めることができ、人物像も180度違ってくるはずである。つまり、それ(小説)は史実ではない。
 司馬さんは、大日本帝国の参謀本部が編纂した戦史を、事実に対する価値判断を行わない無味乾燥の紙クズのように仰っている。しかし、学問として歴史をかじった者にしてみれば、無味乾燥の事実を羅列した記録というのが事実なら、むしろ史料として一級の価値のある存在と言わねばならない。個人の主観を交えて、事実の取捨選択を行なったり、事実に価値判断を加えたり、事実と事実の間隙を編者の価値判断で埋めたようなものは、歴史学においては、大きな誤解を招く危険なものと認識して、注意深く扱わなければならないのである。
 私個人は、当該時期について門外漢なので、独自に資料に基づいて細かな批判は出来ない。その点、年明けに取り寄せて読んだ、昨年末に出版された『坂の上の雲5つの疑問』という一般向けの本が、実に勉強になったので、お薦めしたい↓。この本では、旅順要塞攻略の際の第三軍参謀長伊地知幸介が有能であった面や、総参謀長の児島源太郎が、天才軍師めいた存在とは言い切れない面が明らかにされている。資史料の冷静な分析による結果なので、司馬さんの解釈による人物造型よりも、私には首肯できた。
 個人的には、NHKのドラマを観て、「伊地知さんがかわいそう」と思ったわけだが、旅順攻略で多数の死者が出たのを作戦指導の稚拙の結果とは言えず、伊地知は有能なエリート軍事官僚であり、かつ薩摩閥に属するために妬みも多く受ける存在であったという前提で、この人物を捉えたらどうなるだろう?司馬さんとは違ってくるのではなかろうか。長州閥や閥外の同期のライバルの証言など、客観的なものと請け合えるものではない。むしろ、「坂の上の雲」を目指して強烈な郷党意識を持った連中が、ライバル心をむきだしにしてつばざりあっている時代であり、特に閉鎖的な軍事エリートでは、内部で陰湿な足の引っ張り合いが激烈だったのは容易に想像がつくものと思う。悪口の類は、客観的な証言として信用出来ないのである。
 旅順要塞陥落後、伊地知は第三軍参謀長の任を解かれた件にしても、むしろ中国東北部で優勢なロシア軍に対し、「撃ちてし止まん」と猪突猛進が求められる野戦の指揮官には適していないと見なされた結果のように、私には思われる。有能無能ではなく、向き不向きで、智将より勇将・猛将が望まれた結果のような気がする。そして、物量的な不利を持ちながら、「撃ちてし止まん」で何とかロシア軍を北に押し込むことに成功したのが、後々の病根になったようにも思われる。ろくに砲弾を用意せず、兵にがむしゃらな前進を強制する、まさに太平洋戦争の原型のような気がするのだ。
 司馬さんの憎むべき対象は、砲弾の不足を訴える伊地知とは別にあったのではなかろうか。そのように思った。

 それはさておき、ニチィ。
 午前中の水の交換時、おとなたちをカゴに帰した後、隣の部屋に迷い込んでいて少しパニックになったが、その際あびたホコリが気になったのか、落ち着くと、水浴びを始めた。
 他の文鳥たちに混じって、ずいぶん飛び回るようにもなっている。日一日と成長し頼もしい。

飛び回る孵化36日目のヒナ(ニチィ)
 


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