ぱわーすぽっと

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我が家の「ぱわ~すぽっと」

 パワースポット、昔ながらの霊場や聖地ならわかるけど、そんなにそこらじゅうにあったら、ありがたみ無いよな。居心地が良い場所と悪い場所なんてものは、他人から教わらなくても、感じるもので、感じない人がわざわざ感じすぎる人に教えてもらって有難がるなど、おかしな話だと思っている。
 パワー運気を吸収するなど、鈍感な飼い主には不可能なので、わざわざ探し求めたりはしないが(神社仏閣は歴史的な意味で好きですけど)、御三家たちの「ぱわ~すぽっと」は、現在掛け時計の上だ。場所取りのために、純粋にパワーが必要な場所なのだ。むしろ、「ほっとすぽっとぅ」とでも呼んでも良いかもしれぬ。

 なぜこのような話になっているのかと言えば、獣医さん関連の話を勢いで書いてしまったので、事後的にいろいろ見直していたら、横浜小鳥の病院の近くに、烏巣之森稲荷大明神が鎮座していたという記事を読んだからである。
 東海道の街道筋の近くに、カラスが巣を作る鎮守の森などいくらでもあったはずなので、宗教的に「烏巣之森」にさしたる意味はないと思うのだが、歴史的には、数か月前に調べていて途中で放棄していた(そんなのばかりだが・・・)生類憐みの令の話を連想したのである(私の頭の中では綱吉は偉い人)。
 『徳川実記』元禄3年(1690年)3月16日条に、勘定奉行配下の代官たちへの次のような命令が載っている。「(道路や人里の樹木に)鳶烏巣かけざるやうしばしば見廻り、もし巣かくるもあらば其巣をとりすつべし。おそく見つけ卵うみし巣をこぼち、卵いたまんはいかがなり。【略】鳶烏の巣に事よせて。其他の諸鳥の雛など。卑賎の小児等巣より取すつる事も有べければ。此等は心いれて告諭し、鳶烏の巣の外。一切こぼつべからずとなり」
 綱吉は動物愛護精神を無茶苦茶に発揮して、かえって人命軽々しく扱った暴君のように誤解されているが、嘘である。烏の巣に触るな、とはしないのだ。卵を産む前に破壊しろ、と命じているのである。現在も、人通りの多い道の街路樹などにカラスが巣を作って抱卵・育雛を始めると、下を行き来する人間を襲って困ったことになるが、江戸時代も同じで、そうならないように巣を撤去しろという訳だ。カラスやトビなどは人の迷惑になるので、人のいないところにお引き取りいただき、一方で人の迷惑にならない鳥の巣には触れるな、との発想をする人間が、300年以上前の為政者にいるのが、恐るべき事実と言えよう。
 つまり、愛鳥家、むしろ野鳥の愛護団体は、その活動の理解者として、徳川綱吉を顕彰し、お参りすべきだろう。お墓(霊廟)は上野の寛永寺(すみません。参拝したことがないです)。ゆかりのある神社としては、根津神社かなぁ。こちらは何度も参拝したけど、鳥関連グッズはなかったと思う・・・。あ、上野五條天神社では、モデルは文鳥に相違ない鷽替え神事があったはず。・・・いろいろ脱線するので、この辺にしとこう。

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