
自分の姿に自惚れる困り者夫婦(テン・エゴ)
自分の文鳥が自分に恋愛感情を抱くように仕向け、それがまんまと成功してベタ馴れとか「握り文鳥」と呼ばれる状態にしておきながら、なついた、とは、ずいぶんつれない旦那だ。なつかせるとか、手乗り文鳥をつくるとか、そのような飼い主である人間側の感覚だけをひけらかし、文鳥のこと。だとか、気持ち、だとか、どれほど理解できるものか、甚だ疑問である。
せっかく飼い主を伴侶に選んで幸福を感じて生活してくれる稀有な生き物に巡り合って、幸運にもその愛情を独占しているのだから、そうした飼い主は、その幸運を多少は自覚して、文鳥の気持ちに気づいて欲しいものだと思う。 自分の人間としての作為の結果、徐々になつかせたとか、「握り文鳥」をつくったとか、間抜けな自慢をするよりも、「文鳥様」と呼ばずとも、主役を文鳥と見なすなら、それに選ばれた幸運を噛み締めたら如何?・・・ま、このへんにしといたるわ!
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