ハクブンは駄文の対義語

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「送ってもらえますかねぇ」の目つき
 
 今日は、久々に軽く強制水浴びをさせられたリオくんだが、テーブルに戻すとこう↑なる。跳び上がりさえすれば、どこにでも飛んでいけるくらいに力強く羽ばたけるのだが、どうすれば自分で出来ることを理解させられるだろうか?やはり、難題である。
 
 
 で、前々から用意していたが、誤解を招く恐れを感じて控えていた話を、おもむろに引っ張り出してしまう。このブログでも何度か取り上げている白文鳥の読み方についてだ。 
 
 私の読み方は、「しろ」文鳥で、これは何十年前から変わらない。世の中には、「ハク」文鳥と読む人も少なくないが、私の周囲(京浜地域の小鳥屋さん)には居なかったので、自然にそうなったに過ぎず、再三の話だが、二つの読み方とも、大昔から並存しており、どちらを使用しても誤りではない。ただ、桜文鳥や並文鳥は、文鳥の前の品種を表す言葉を訓読みしているので、こうした品種と並べて呼ぶ場合、白文鳥も、「しろ」、と訓読みした方が自然とは言える。「ハクとさくら」より「しろとさくら」の方が、収まりが良いのである。
 そこまでで終了して、「シロブンチョウ」と「ハクブンチョウ」の読み方があり、「シロブンチョウ」がやや優勢、程度の認識をしてもらえれば、十分だと思っている。しかし、私個人は「ハクブンチョウ」との読み方から、ごく微かにだが、『暗黒時代』の白文鳥至上主義に基づく差別意識の存在を、いつも感じてしまっていると書いたら、驚かれるのではあるまいか?
 何が差別意識なのか?先述のように、訓読み+ブンチョウの構成から考えれば、桜文鳥や並文鳥に対する白文鳥の読みは、「しろブンチョウ」でなければならないとして、次に、「ハクブンチョウ」のように、音読み+ブンチョウで、桜や並文鳥を表す言葉を探してみたことがお有りだろうか?私は、かなり昔に考えてしまったのである。そして、それは「ダブンチョウ」以外には無かった。
 「ダブンチョウ」とは、駄文鳥の読みで、原産地で捕獲して輸入され野生文鳥が、飼鳥として駄目という意味に他ならず、並で劣る意味の並文鳥と同義の差別語である。従って、並文鳥という言葉は、差別語で死語なので、物知り顔の知ったかぶりで使用すべきではない、といった指摘をこのブログに書いたが(コチラ)、駄文鳥は、より直截的な差別表現かと思う。そして、この差別表現は、人工繁殖された飼鳥以外の何者でもない桜文鳥にも使用された言葉だったのを、ご承知になっている人がどれほどいるだろうか?
  1926年刊石井時彦著『文鳥と十姉妹』にはこのように書かれている。
 
 「桜文鳥といいますのは、白文鳥から出た鳥で原種と併せて一口に一名駄文と申します」
 
 今現在の文鳥愛好者に、文鳥の品種の中でも白文鳥の姿を最も愛する白文鳥至上主義の人がいるのは当然で、それは私が断然桜文鳥派を称するのと同様に、個人の好みの問題に過ぎないと思う。私にしても、白もその他の品種も文鳥はみな好きだが、どれか選べとなったら、「断然桜文鳥!」と言うだけで、品種間に差別的な感情の持ち合わせはない。しかし、歴史的に見れば、厳然と差別は存在していた。今でも、白文鳥の方が桜文鳥より少し高価なことが多いが、昔はより大きく価格差があり、より高価に売買された白文鳥が重視され、特に生産者サイドから、安価にしか売れない桜文鳥は「駄文」などと差別されていたのである。
 ようするに、多様性の乏しい画一的な社会において、白文鳥が人気となり、それに付随して発生する桜文鳥は(最大の産地だった弥富系統の白文鳥では、白文鳥同士からでも、3分の1は桜文鳥が生まれる)、余計者でしかなかった。しかも、前述の石井某などは、「白文鳥という鳥は、全く我国の特産で、純然たる家禽でありまして、巣引きの上手な事は原種や桜文鳥の比ではありません」「飼鳥界一方の旗頭で、我国の誇りとする所であります」と、白文鳥を徹底的に褒める一方で、「外形ばかりでなく、性質や能力にまでも影響するものですが巣引きの具合は白文鳥にはかないません」と、性質においても桜文鳥が駄目な存在だと、決め付けてしまっていた。もちろん、このような内容は、大正時代の鳥好き親爺の無邪気な主観に過ぎず、非科学的な私見によるデタラメでしかないが、それほどに、明治中期・大正・昭和前期と、白文鳥は尊重され、まさに白文鳥至上主義と言える状況だったと理解する材料にはなるだろう。私は、ずいぶん昔にこれを読んで(感想)、実はかなりショックを受けて腹を立てたものだが、おかげで、『暗黒時代』を垣間見た気分になったし、いろいろと問題意識を持つことができた。
 現代人の私、つまり、カラーバリエーションは個人の好みでしかなく、品種間の優劣など一切認めず、価格差が存在する方が不思議でしかない者の感覚では、画一的な流行と経済性だけを優先し、多様な価値を見出すことなどできない大昔など、『暗黒時代』以外の何ものでもない。そして、この『暗黒時代』こそが、低級な駄文鳥の対義語として高級な白文鳥が存在する時代であり、確かにともに音読み+ブンチョウで対になっている。また、前述のそれこそ大正時代の駄文章は、「駄文」と連呼しているし、一方、1978年刊行の宗こうすけ著『ブンチョウ』では、「別名ハクブンチョウ、あるいはこれを略してハクブンなどと呼ばれます」とされているのを勘案すれば、「ハクブン」「ダブン」と略称を対に使用していたように思われ、そのいかにも前近代的差別に基づく呼称を、専門家めいた連中が略称使いしていた時代など、とても肯定は出来ないと、強く思ったものである。
 
 もちろん、それは現代の感覚で見て過去を批判しているだけで、過去の人たちを責めても意味はない。それぞれの時代にはそれぞれの時代の常識が存在しており、今現在の尺度で善悪を測ることはできない。「ハクブンチョウ」という読み方が、白文鳥とその他を差別した『暗黒時代』の名残りと見なしたとしても、今現在、差別感情などない人たちが、その読みをすることを、否定するのもおかしな話だ。白を音読みして「ハク」とすること自体は、白いものを「シロ」と読むのと同様に、ごく自然であり、「ハクブンチョウ」と呼び慣れているなら、それを変える必要などあるまい。
 しかし、文鳥についての雑学を誇りたい人なら、『暗黒時代』の在り方を、理解しておいたほうが、今現在についても理解が深まるとは思っている。例えば、もし、今現在、プロ的な繁殖をする人ほど、「ハクブンチョウ」と読み、「ハクブン」などと呼んだりしていたとすれば(そうした事実があるか否か、私は知らない)、それを「通」だからでは無く、ましてその呼称が正しいわけでもない。たんに、普通の飼い主同様に、習慣的なものか、『暗黒時代』が色濃く残っている環境にいるだけ、と見なした方が、よほど的を射ているのではないか?といった感じに、である。
 ・・・、ま、表記する時は、「白文鳥」と漢字にすれば済む話だが。

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