
フン製造機の皆さん

今日も頑張り頬張るポンちゃん
少し前に、「うんこ」と「うんち」について博物館の説明パネルにデタラメが書かれていたとのニュースがああって、妙に感心させられた(産経記事)。
いわく、「 『うんち』は肉や魚などのタンパク質が消化吸収を経て排出されたもので、『うんこ』は野菜や穀物のみが消化吸収を経て排出されたものと日本医師会によって決められている」
これを読んで、すぐに嘘だとわからない人は、騙され上手な自分の性格を認識して、今後はより注意深く行動したほうが良いかもしれない。これは「日本医師会によって決められている」がオチで、何であの医師会が、どうやってあの医師会で、そのような言葉の定義がなされるの?医学用語にしても、医師会が総会?で決められるわけがないではないか。
さはさりながら、文鳥は普通「野菜や穀物のみが消化吸収を経て排出されたもの」排泄しているので、あれは「うんこ」だな。「うんち」と表現したら、医師会が黙っていないのであるぞ!!と、「うんこ」派としては、この珍説を採用したい衝動に駆られたのも事実である。
なぜ、私が「うんこ」と表現し「うんち」を用いないのか、それは実に深遠な哲学的課題と言えようが、語尾が「こ」より「ち」にしたほうが汚らしく感じるだけ、なのと、何となく「雲古」とか「雲固」とかの当て字が頭にあるからだと思う。しかし、語感では、逆に「うんこ」の方に違和感を持ち、「うんち」を用いる人も多いはずなので、どちらでも良い、とする他ないかと思っている。
しかし、あえて言うなら、辞書的には「うんこ」の方に分がある。「うんこ」には、幼児語とした上で「いきむ声「うん」に接尾語「こ」が付いた語」との説明があるが、「うんち」には幼児語とあるだけで、つまり「ち」は、まさに幼児的に無意味にくっついているらしいから、である。
しかし、あえて言うなら、辞書的には「うんこ」の方に分がある。「うんこ」には、幼児語とした上で「いきむ声「うん」に接尾語「こ」が付いた語」との説明があるが、「うんち」には幼児語とあるだけで、つまり「ち」は、まさに幼児的に無意味にくっついているらしいから、である。
もっとも、文鳥の排泄物は、糞(フン)で、「ブンブンがフンフンをする」が、お子様表現として正しい、と私は信じている。それには特に理由はないが、「うんこ」も「うんち」も「うんP」も許さないのである。
コメント