ジャクボーの納戸


 ついに、ここまで来てしまいましたね。ここから先は文鳥とは関係のないことしか載ってませんよ。ここはジャクボー(雀坊)、またはユウ・ジャクボー(有雀坊)、「有若亡」(有って亡きがごとし)からくるペンネームを称する人物が好き勝手をし、まったく脈絡なしに突発的に出現する危険なページで、その中身は何ら意味がありません。引き返されることを強くお薦めします。

▼△表紙に撤退する△▼『団地』に遁走する▼△


8、新緑の季節は鎌倉へ

 うざったい桜が散って観光都市鎌倉の最も良い季節がやってきた。ただしこれは私の意見である。しかし鎌倉の桜は別にどうということもなく、段かずら(鶴岡八幡宮への参詣道路)に桜並木はあるが、冷静に考えればどこの町にもありそうな程度のものでしかないのである。また、鎌倉は三方が山だから紅葉の秋などはきれいだろうなどと、油断している人は考えるかもしれないが、これが不思議なくらい映えない。常緑樹林に所々紅葉と言った感じで何かみすぼらしかったりする。冬は海、夏は山と普通の人の逆をいくと風情があるが、やはり春が一番良い。鎌倉の山は不思議に青葉が美しい。小道具として春雨も降ってもらいたい。空気が清々とした感じになって非常に良い。ちょっとモヤってくれるとことさら風情がある。

 住んでいるわけではないが、私は鎌倉にはやかましいのである。せっかくなので鎌倉の観光案内をしてみたいと思う。

やってはならない事
車で行ってはならない。 ・・・あの袋小路のような狭い場所に乗用車でやってくるのはルール違反であり、無知であり、田舎っぺまるだしである。横須賀線に乗って北鎌倉か鎌倉で降りて、後はひたすら歩かねば鎌倉に来たことにならない。
寺めぐりは意味がない。 ・・・ああ言うところに行くと、古刹とかいわれている寺を全部のぞかなければなたない義務感に襲われるかもしれないが、一般の人は建長寺だの円覚寺だのの歴史を知ったところで意味がないし、第一興味なんてないはずである。興味もないのになんとなく見て回るのは時間の無駄である。そう言うのは修学旅行のお嬢ちゃんやお坊ちゃんに任せておけば良い。
タレントショップに入るな。 ・・・黙って原宿の竹下通りに行け。
 
避けた方が良い事
梅雨時の北鎌倉。 ・・明月院のアジサイが美しいとか言って、ジジ、ババが大挙押し寄せるので邪魔である。アジサイなどどこでも見れるしさして美しいものではない。梅雨という季節が鎌倉という土地の雰囲気に合っているだけのことである。
夏の浜辺。 ・・・汚い海で気色悪くなるほど人でごった返している。あんな処に行く人はマゾといって良い。(花火大会は一見の価値があるが、帰りの人ごみは悲惨である)
秋。 ・・修学旅行とか遠足とかの学生が勤勉に寺回りをし、博物館を見学(実際はチラッと見てまわるだけである)し、紅いもソフトクリームを食べながらタレントショップで買いあさっている。哀れである。さらに散策が趣味とか思い込んでいるジジ・ババが紅葉狩りと称してリュック姿の徒党を組んで練り歩いている。目障りである。

 

はじめて鎌倉に行く場合の提案
 北鎌倉でおりて、円覚寺、(東慶寺など)、建長寺を律儀に拝観し、巨福呂坂を越えて鶴岡八幡宮へ行ったりすると、もう既にヘロヘロになってしまい、鎌倉駅前でお土産の豊島屋「鳩サブレ」を買って帰ることになってしまう。
 しかし一般的に考えれば、鎌倉といえば大仏であり、江ノ電だったりするのではなかろうか。とはいえ北鎌倉を無視すると鎌倉の歴史的な古ぼかしさを見落としてしまう。そこでウザイ寺などは
素通りして雰囲気だけ味わう。寺とか言っても、中は山だからくたびれるのである。拝観料などもったいない。入らない。・・・として、浄智寺の横からハイキングコースに出て銭洗弁天とか佐助稲荷などに行くとかっこいいのだけれど、その方がよほど道は険しくただでさえ泣きたいくらいなのに、雨が降ったら死にたくなるのでやめておく。
 この際、北鎌倉の真横にある
円覚寺だけに入っておく。中の仏日庵でお茶でもしながら適当にぐるっと回ったら、北鎌倉からまた電車に乗って鎌倉に出る。駅周辺で適当に昼食を済ましてしまいたい(自然薯とかが名物でうまいようだが、他には大した物はないような気がする。鎌倉丼などという得体の知れないものがあるが、なにがどう『鎌倉』なのか不明である)。
 食後は一応、大イチョウを見ながら
鶴岡八幡宮に参拝し、テロテロ段葛(参拝道)を海側に歩いていき、適当に右折して大仏のある高徳院に向かう。途中に女子中高生の間では昔から有名らしい『ギルド』などという得体の知れない店があり、豆粒ほどのアクセサリーに絵や名前を彫り付けたりしてくれる。「だからどうした」と私は思うが、まあタレントショップよりよほどましかもしれない。さて拝観料を払って境内に入ってしまったら、せっかくなので大仏の中に入ろう。あれは中が空洞になのである。と、いってもどうということもないのであるが・・・。
 ところで高徳院には水子地蔵の集落があって、その物量で圧倒してくれる。二十年ぐらい前はそれほど多くもなかったが、今や一山丸ごと水子地蔵となっていて、その増加に愕然とする。これも一見。水子地蔵を見て、それぞれの感慨にふけったり、気色悪くなったらところでお茶でも飲みたい。確か大仏の入り口のはす向かいあたりに、古民具とかなにやらが飾られた得体の知れない内装をした喫茶店があったと思う。
怪しい人が住み着いているのも鎌倉の特徴かもしれない。
 後は、長谷から
江ノ電に乗って鎌倉に戻って帰っても良いし、まだ元気なら海岸線をそぞろ歩いても気持ち良い。
 以上が安易な鎌倉一日コースであろう。
 
ディープな人のたどる道
 頃は彼岸時でなければならない。当然一人で行かねばつまらない(ただし女性は複数の方が良い)。雨は厳禁。
 とりあえず黙って鎌倉からバスに乗る。逗子方面に行くバス、系統は忘れてしまった。トンネルを抜けた「法性寺」だったか「久木新道」といったかの停留所で下車する。何にもないところだが道を渡ってバスで来た方向をたどると
法性寺という寺がある。『猿畠山』と書いた額を猿の彫り物が持っているしゃれた山門。しかしそんなもの無視してまず人気がないわびしい境内に入り込んでいく。やがて墓地の向こうに切りったった崖があらわれる。これぞ切岸という鎌倉時代の自然城壁の跡である。
 しかし歴史の講義をしているひまはないので、先を急ぐ。墓地をかすめて先にすすむとなぜかこんなところに家がある。何が住んでいるかわからない感じだが関係ないので、その裏手の狭い道を回りこんでいく。この辺は奇怪な雰囲気が漂いまくっているが、気のせいなので先にすすむ。テクテク、モクモク山道を歩いていく。ひどい道。道幅はやたら狭く、両側が崖であったり、直角に曲がっていたり、道の真中に大きな石があったりする。そう、これこそ
名越の切通し。鎌倉時代に作られた道路である。異様な道筋は敵に攻められた時ここで防ぎ止めるための仕掛けなのだが、ここでまた講義をする気はないので先に進む。とにかくはってでも山頂部にある曼陀羅堂跡に行かねばならない。
 曼陀羅堂跡。中の小道をたどっていくと、小さな
五輪塔が大量に散在し、曼珠沙華(彼岸花)で覆われている。ほとんど人けなし。やたら不気味。それもそのはず、ここはもともとは墓地で、それが荒れ果て五輪の塔は崩れ転がり、遺骨が散乱していたのを整理したということである。
 
※私の記憶が正しければ、五輪の石は上から「空」「風」「火」「水」「地」をあらわしていて、最下段の「地」とその上の球状の「水」の間に空間があり、納骨するようになっていたと思う。つまり五輪が崩れたら遺骨は散乱せざるを得ない。
 ここでは心寒くなる静寂を楽しみ、また山頂に
何かの礎石があるのでよじ登って海岸線を一望すれば気分爽快である。
 黙って下山する。鎌倉市側に出るので、せっかくだから材木座海岸の方に向かって散歩しても良いかもしれない。左手には幽霊だのがいるとか夏になるとたわけ者が騒いでいる
小坪トンネルをおばちゃんがママチャリで往来している。正面に和賀江島の跡がある。気をつけてみれば浅瀬になっているのだが、ここは鎌倉時代の貿易港、人工埠頭だったのだ。そんなこと知るはずのないサーファーたちが波間に漂っている。
 「海に浮かぶは粗大ゴミ、その名もはずかしサーファーギャル。
                …夏といわず冬といわず、年がら年中顔は真っ黒。
                     表も裏もわからない、その名もアーパー・サーファーギャル。」
 
なぎら健壱の『オクラホマミキサー』の替え歌など歌うと、命の保証はしかねる。(2000/5)

お終い


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